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押田純子

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

押田 純子(おしだ じゅんこ、現姓清水1977年2月27日[1] - )は日本中央競馬会 (JRA) の元騎手[1]滋賀県[1]栗東市生まれ。

父は障害競走の騎手としていぶし銀の活躍を見せた押田年郎。兄は夫の厩舎に調教助手として所属し、キタサンブラックを担当していた押田道郎[2]

デビューの翌年に父親が騎手を引退し、父親のファン層の多くが娘である押田純子に注目した。

来歴

競馬学校に13期生として入学。同期には秋山真一郎板倉真由子勝浦正樹武幸四郎村田一誠松田大作武士沢友治らがいる。

初騎乗は1997年3月1日阪神競馬第1競走でワンダーレベルワンに騎乗し、13頭立ての13着[1]。同年6月7日中京競馬第1競走でアワーデッドラブに騎乗し初勝利[1]

湯浅三郎厩舎に1997年から2000年まで所属し、2000年2月29日付で引退[1]。JRAでの出走機会158戦中1着2回、2着2回(すべて平地競走[1]

引退後は持ち乗りの[3]調教助手に転向[4]。担当馬の一頭により勝利とGI競走への挑戦を経験した[4][3]。当時調教助手だった清水久詞(のちに調教師となる)との結婚が決まり、2001年12月20日付で退職した[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 引退騎手情報 押田 純子(オシダ ジュンコ)”. 日本中央競馬会. 2013年5月25日閲覧。
  2. ^ 下馬評を覆せ!無敗のTR勝ち馬キタサンブラック - 競馬ラボ 2015年4月12日発信、2018年1月10日閲覧。
  3. ^ a b 押田助手がG1初出走/ジュベナイルF”. 日刊スポーツ (2001年11月30日). 2001年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月5日閲覧。
  4. ^ a b c 鈴木正 (2001年12月16日). “【ズバッ正券】さざんか賞 2人の門出を祝してビッグペイオフ&ミニーチャン” (日本語). スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞東京本社): p. 15 

関連項目