折敷畑山
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折敷畑山 | |
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標高 | 445 m |
所在地 | 日本 広島県廿日市市 |
位置 | 北緯34度21分32.8秒 東経132度16分57.2秒 / 北緯34.359111度 東経132.282556度座標: 北緯34度21分32.8秒 東経132度16分57.2秒 / 北緯34.359111度 東経132.282556度 |
プロジェクト 山 |
折敷畑山(おしきばたやま)は広島県廿日市市宮内地区の西部を占める山[1]。標高は国土地理院地図では445mと記載[2]。日本歴史地名大系によれば366.9m。
地形
[編集]市内を流れる御手洗川と可愛川の間にあり、山裾から瀬戸内海の沿岸部へ向けて宗高尾・谷宗尾・越峠尾・藤掛尾と称する尾根状の丘陵があり、これらは他の丘陵とともに七尾と総称されている[1]。
歴史
[編集]1554年(天文23年)にこの山で陶晴賢と毛利元就との間で戦いが発生した。この戦いは折敷畑の戦い若しくは明石口の戦いと呼ばれている[3][4]。
→詳細は「折敷畑の戦い」を参照
脚注
[編集]- ^ a b 日本歴史地名大系. “折敷畑山(おしきばたやま)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年4月24日閲覧。
- ^ “廿日市20名山リスト(廿日市・佐伯・吉和・大野・宮島の順)”. はつかいち観光協会. 2023年4月24日閲覧。
- ^ 東滋実. “「折敷畑の戦い(1554年)」陶晴賢と袂を分かった元就、厳島の戦いを前に圧勝する | 戦国ヒストリー”. sengoku-his.com. 2023年4月24日閲覧。
- ^ 山本浩樹『西国の戦国合戦』吉川弘文館〈戦争の日本史12〉、2007年。