打越光種
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 寛文10年2月15日(1670年4月4日) |
別名 | 次右衛門[1] |
戒名 | 常心[1] |
墓所 | 丸山長泉寺[1] |
幕府 | 江戸幕府書院番 |
主君 | 徳川秀忠→家光 |
氏族 | 打越氏 |
父母 | 父:打越光隆[1] |
兄弟 | 光久、光種[1] |
子 |
娘(打越光業妻)、娘(内藤章政妻) 養子:光業(鵜殿長直四男)[1] |
打越 光種(うていち みつたね)は、江戸時代前期の武士。徳川氏家臣。
経歴・人物
[編集]寛永6年12月27日(1630年2月9日)徳川秀忠に拝謁する[1]。のち家光に近侍し、寛永11年(1634年)上洛に従った[1]。同年、兄の光久が死亡し、本家は無嗣断絶となった。
光種は食禄300俵を賜い直参旗本として書院番となり、のちさらに200俵を加増された[1]。のち武蔵国北足立郡大久保村・神田村にて500石の知行地を与えられる[2]。4代下った光輪の代より「うちこし」を名乗った[1]。