手塚猛昌
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手塚 猛昌(てづか たけまさ、1853年12月22日(嘉永6年11月22日) - 1932年(昭和7年)3月1日)は、「時刻表の父」として知られる、明治期の実業家。日本最初の月刊時刻表とされる「汽車汽船旅行案内」の発行者。
経歴
[編集]長州藩士の家柄だが家貧で四書五経を独学で修めた。長州藩永代家老の益田家が設けた郷校・育英館で学び、33歳の時に上京し慶應義塾(現・慶應義塾大学)に進んだ。
その後、庚寅新誌社を創立し政治経済雑誌を発行する一方『庚寅新誌』を発売し、政治活動を始める。荘田平五郎らのすすめで1894年に旅行案内を刊行し旅客の便をはかる。1894年(明治27年)に恩師の福沢諭吉の勧めで英国の時刻表を手本に「汽車汽船旅行案内」を発行した。全国の時刻表をまとめたもので、現在の時刻表の基礎を築いた。1914年運輸局長木下淑夫の斡旋で庚寅新誌社・交益社・博文館の3社が統合し旅行案内社となり社長就任。
続いて星亨らと東京市街鉄道をおこし、1906年(明治39年)東洋印刷[要曖昧さ回避](1934年破産)を設立し社長。1907年(明治40年)帝国劇場の創設に参加。1912-14年帝劇専務。1929年武蔵高等工科学校(現東京都市大学)創設。墓所は青山霊園(1ロ12-25)。
顕彰
[編集]山陰本線須佐駅前に「時刻表の父 手塚猛昌顕彰之碑」が建立され、功績を紹介する説明版が立てられている。碑文の揮毫は萩市長野村興兒。
参考文献
[編集]- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年(明治42年)6月、719-720頁 。(近代デジタルライブラリー)