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手塚昌利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

手塚 昌利(てづか まさとし、1931年3月8日 - 2020年4月18日[1])は、日本実業家阪神電気鉄道相談役。旭日重光章受賞者。阪神電鉄元会長・社長、阪神タイガース元オーナー、元毎日放送社外取締役。

来歴・人物

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徳島県鳴門市出身。旧制市岡中学校第四高等学校を経て、京都大学法学部卒業後[2]1953年に阪神電鉄へ入社[2]。取締役運輸部長、常務・不動産事業本部長、代表取締役専務などを歴任し、1992年には社長に就任[2]2004年から2006年まで会長を務めた。

阪神電鉄社長時代に発生した阪神・淡路大震災では自社路線も大きな損害を受け、社長として復旧作業の陣頭指揮を取った。

1998年から阪神タイガースのオーナー代行を務め、オーナーの久万俊二郎を支えていた。2004年一場靖弘(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)への裏金問題の発覚による久万の引責辞任に伴い、第7代オーナーに就任。2005年読売ジャイアンツ監督・堀内恒夫の後任として星野仙一シニアディレクターが候補に挙げられた。この件に関して久万は「星野さんが巨人の監督になってもいいじゃないですか」と発言したのに対し、手塚は「誠に遺憾である」と反対意見を述べた(結果、星野は巨人監督就任を断って阪神シニアディレクターを続投した)。

また、久万も手塚は自分より野球に詳しいと評していた(オーナー就任時の読売新聞の記事より[信頼性要検証])。

しかし、2005年秋に発覚した村上ファンドによる阪神電鉄の買収問題(阪急・阪神経営統合を参照)に対しては有効な対策を打てず、翌2006年3月、阪神電鉄は阪急ホールディングスとの経営統合に追い込まれた。手塚は株主総会で阪急との統合が議決された2006年6月29日付で相談役に退き、タイガースのオーナーも辞任した。

2008年11月には、旭日重光章を受けている[3]

2020年4月18日、心不全のため神戸市内の病院で死去[1]。89歳没。死没日をもって正四位に叙される[4]

脚注

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  1. ^ a b “阪神元オーナー手塚昌利さんが心不全で死去 89歳”. 日刊スポーツ. (2020年4月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202004210000332.html 2020年4月21日閲覧。 
  2. ^ a b c “社長に手塚氏昇格 阪神電鉄、トップ人事内定”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1992年11月2日) 
  3. ^ 重光章受章者の顔触れ”. 四国新聞社 (2008年11月3日). 2023年6月15日閲覧。
  4. ^ 『官報』第256号9頁 令和2年5月26日号
先代
久万俊二郎
阪神電気鉄道社長
1992年 - 2004年
次代
西川恭爾