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戸田三弥

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戸田三弥

戸田 三弥(とだ さんや、文政5年1月16日1822年2月7日) - 明治24年(1891年10月28日)は、幕末大垣藩家老。戸田権大夫家第7代。通称は権之助、三弥。は寛鉄。

父は戸田章鉄。子は戸田三五郎。

略歴

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文政5年(1822年)1月16日、大垣藩家老戸田章鉄の子として生まれる。生家は、初代藩主戸田氏鉄の七男・利鉄を初代とする藩内の名門であった。

天保5年(1835年)、初出仕する。天保13年(1842年)、父の隠居により家督と知行1000石を相続する。慶応2年(1866年)、第二次長州征討に藩兵を率いて出陣する。家老本役となり300石の加増を受ける。明治元年(1868年)、戊辰戦争において、大垣藩が東山道先鋒の命を受けると、藩軍事総裁として藩兵を率い、東北で戦った。明治2年(1869年)、大垣藩が戊辰の功績により賞典禄3万石を受けた際に、1000石の加増を受けて知行2300石となる。

新政府に出仕して、造幣局允、明治3年(1870年)に鉱山大佑となるも、同年に官を辞して帰郷する。明治11年(1878年)、第百二十九国立銀行(大垣共立銀行の前身)創立の際に、発起人、取締役となる。明治24年(1891年)10月28日、濃尾地震により死去した。享年70。明治42年(1909年)、生前の功績により贈正五位

参考文献

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  • 「大垣市史」