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戸場口山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標: 北緯36度7分18.2秒 東経139度28分44.5秒 / 北緯36.121722度 東経139.479028度 / 36.121722; 139.479028

戸場口山古墳址(2011年8月)
現在は宅地となっている。(東側より撮影)

戸場口山古墳(とばぐちやまこふん)は、埼玉県行田市埼玉古墳群に属する古墳のひとつであったが、1918年頃に消滅した。

概要

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一辺40メートル、高さ約4メートルの方墳で、2重の周濠を持ち、今もその痕跡が残っている。その周濠は、一部中の山古墳と重複している箇所がある。

中の山古墳、奥の山古墳と共に渡柳三大墳と呼ばれていた。埋葬施設に関しては、大正年間に墳丘の土取りがされた時掘り出された石は、畳2,3枚分の大きさだったと伝えられるため、中型の横穴式石室だったと考えられる。また、その後の調査で、側壁に使用されたと思われる凝灰質砂岩も出土している。 出土品に関しては、『新編武蔵風土記稿』に、近年石棺の中から大刀が出土したという記述がある[1]が、昭和初期には行方不明になっている。また、1918年の土取り時には出土品は何も無かったようである。

古墳の築造年代は、周濠から出土した須恵質の埴輪壷から、7世紀半ば頃と考えられている。

脚注

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参考文献

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  • 「渡柳村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ217埼玉郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764009/100 

関連項目

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外部リンク

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