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成田鉄道八街線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八街線
概要
現況 廃止
起終点 起点:三里塚駅
終点:八街駅
駅数 11駅
運営
開業 1914年5月18日 (1914-05-18)
廃止 1940年5月14日 (1940-5-14)
所有者 千葉県成田鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 13.8 km (8.6 mi)
軌間 600 mm (1 ft 11+58 in)
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
成田鉄道多古線
exABZq+l exBHFq
三里塚駅
exBHF
根木名駅
exBHF
川津場駅
exBHF
富里駅
exBHF
高野駅
exBHF
十倉駅
exBHF
実ノ口駅
exBHF
八街街道駅
exBHF
古込駅
exBHF
東八街駅
exSTRl exKBHFeq
八街駅
STRq BHFq
総武本線
成田鉄道八街線の位置(千葉県内)
三里塚
三里塚
八街
八街
成田鉄道八街線

八街線(やちまたせん)は、バス会社千葉交通の前身である成田鉄道が、かつて運営していた鉄道路線廃線)である。

概要

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千葉市にあった陸軍鉄道連隊は、千葉 - 四街道 - 根古谷 - 沖 - 山田台 - 滝台 - 四木 - 笹引 - 六区 - 大東区 - 二区 - 朝日区 - 両国 - 三里塚間の約50 kmを軌間600 mmの軌匡で敷設する大演習1913年(大正2年)の9月から行い、演習終了後朝日区以西を撤去。撤去されずに残された朝日区 - 三里塚間は多古線を営業していた千葉県に払下げ、朝日区から八街駅に達する線路を新設して1914年(大正3年)5月、千葉県営鉄道八街線として営業開始した。1928年(昭和3年)に多古線が1,067 mm軌間に改軌されるまで多古線と区別なく車両を運用していた。

1927年(昭和2年)には、多古線同様成田鉄道(当時は成田電気軌道)へ譲渡されるが、1940年(昭和15年)に八街線の線路敷に陸軍の八街飛行場が建設されることになったため、廃線となった。

路線データ

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運行概要

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1933年7月1日改正当時

  • 旅客列車運行本数:日7往復
  • 所要時間:全線43分

沿革

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駅一覧

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廃線時

三里塚駅(さんりづか) - 根木名駅[6](ねこな) - 川津場駅(かわづば) - 富里駅(とみさと) - 高野駅(こうや) - 十倉駅(とくら) - 実ノ口駅(みのくち) - 八街街道駅(やちまたかいどう) - 古込駅(ふるごめ) - 東八街駅(ひがしやちまた) - 八街駅(やちまた)

接続路線

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輸送・収支実績

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多古線と合算計上のため成田鉄道多古線#輸送・収支実績を参照

車両

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ガソリン動車を除き千葉県営鉄道から引き継いだ車両

  • 蒸気機関車 - 4両。双合機関車を切り離して使用。詳細は日本陸軍鉄道連隊A/B形蒸気機関車を参照のこと。
  • 客車 - ボギー客車 ハ1形(ハ1-5)5両、ハ11形(ハ11)1両
  • 貨車 - ボギー有蓋車ワ1形4両、ボギー無蓋車ト1形3両、ボギー無側車チ1形2両
  • 内燃動車 - 1930年からガソリン動車の運転をはじめた。汽車製造製、ガ201・202、2両 

脚注

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  1. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年11月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年5月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「地方鉄道譲渡」『官報』1927年4月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』(正誤表)電気車研究会、2009年3月http://www.tetsupic.com/seigohyo/seigo.pdf 
  5. ^ 「鉄道運輸営業廃止」『官報』1940年8月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 以下の書では「根古名駅」 以下の書では「根木名駅」

参考文献

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  • 長谷川三郎『鉄道兵の生い立ち』1984年。 
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 3 関東1、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790021-0 
  • 岡本憲之・山口雅人『実録鉄道連隊』イカロス出版、2009年、56-61頁
  • 小熊米雄「千葉県営軽便鉄道成田-多古間及び八街-三里塚間について」『鉄道史料』No47、1987年