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成公(せいこう、生没年不詳)は、中国の春秋時代の唐の君主。姓は姫とも祁とも。諱は不明。
紀元前507年(魯の定公3年)、成公は楚から離反した[1]。紀元前506年(定公4年)、呉王闔閭や蔡の昭侯と共に楚へ攻め入り、楚の都の郢を陥落させた[2]。紀元前505年(定公5年)、楚の子期(公子結)と秦の子蒲の連合軍に攻撃され、唐は滅亡した[3]。
- ^ 『春秋左氏伝』定公三年「唐成公如楚」
- ^ 上掲書定公四年「冬,蔡侯、呉子、唐侯伐楚」
- ^ 上掲書定公五年「秋七月,子期、子蒲滅唐」