慶雲 (金憲昌)
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慶雲(けいうん、경운)は新羅の金憲昌が用いた私年号。822年。
新羅の第41代憲徳王の14年(822年)3月に、王族の一員である金憲昌は父の金周元が王位につけなかったことを不服として反乱を起こし、熊州(忠清南道扶余郡)を拠点として朝鮮半島南西部を占拠し、自立して国号を長安とするとともに慶雲元年と宣言した。同月のうちに反乱は平定され、慶雲年号は直ちに廃止された。
西暦・干支との対照表
[編集]慶雲 | 元年 |
西暦 | 822年 |
干支 | 壬寅 |
出典
[編集]- 『三国史記』巻十・新羅本紀第十・憲徳王紀
- (十四年三月)熊州都督憲昌以父周元不得為王、反叛。国号長安。建元慶雲元年。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『三国史記』朝鮮史学会編集、近澤書店、初版1928、第三版1941(影印 保景文化社、서울、1981)
- 『三国史記』第1巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980 ISBN 4-582-80372-5