慶恭皇貴妃
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慶恭皇貴妃(けいきょうこうきひ、雍正2年6月24日(1724年8月12日) - 乾隆40年7月15日 (1774年8月21日))は、清の乾隆帝の側室。漢人の出身。姓は陸氏。陸士龍の娘。嘉慶帝の養母。蘇州の人。
生涯
[編集]漢族の平民出身。入内の経緯は不詳であるが、乾隆13年(1748年)、貴人となった。乾隆16年(1751年)、慶嬪に進んだ。乾隆24年(1759年)慶妃に、乾隆33年(1768年)には慶貴妃に封じられた。
令貴妃(後の孝儀純皇后)と仲が良く、令貴妃は4男2女を出産してたくさんの子供を育てるのに苦労する一方、慶妃は実子がなかった。そこで令貴妃の次男永琰(後の嘉慶帝)を養子にする。
乾隆40年(1774年)、死去。裕陵妃園寝に葬された。嘉慶4年(1799年)、養母を追慕する嘉慶帝によって「慶恭」と諡され、皇貴妃を追贈された。
伝記資料
[編集]- 『清史稿』