慶忌
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慶忌(けいき、? - 紀元前475年)は、春秋時代末期の呉の公子。姓は姫、名は慶忌[1]。
生涯
[編集]慶忌の事項は『春秋左氏伝』にわずかに記述されている。呉王夫差の一族だが、具体的な親族の血縁上の系譜関係は不明[2]。
紀元前475年に夫差に上奏して、「呉王は自らの行いを改めないと、いずれは滅びるでしょう」と諫言した。しかし、夫差はこれを聞き入れず、やむなく公子慶忌は領地の艾[3]に戻り、ついでに楚に向かった。同年冬に、越が呉を討伐すると慶忌は、急いで呉に戻り「今こそ呉の国内にいる不忠者を誅殺して、すぐに越と結ぶべきです」と進言した。これを聞いて激怒した夫差は大夫たちとはかって、ついに慶忌を誅殺した。
異説
[編集]『諸系譜』(国立国会図書館と静嘉堂文庫所蔵)に掲載されている松野氏#松野連系譜(姫姓)は、夫差から始まり、次の(慶父)忌が火の国菊池郡山門(やまと)に来たとある[4]。