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慕容耐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

慕容 耐(ぼよう たい、拼音: Mùróng Nài、? - 285年[1])は、鮮卑慕容部の大人。父は慕容木延であり、兄に慕容渉帰がいる。『資治通鑑』では慕容刪と表記される。

生涯

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太康4年(283年)、兄の慕容渉帰が没すると、その嫡男である慕容廆が後を継ぐはずであったが、慕容耐は位を簒奪して大人となった。

さらに彼は慕容廆を謀殺しようと目論んだが、事前に危機を察知した慕容廆が逃亡を図ったので、急いで追っ手を差し向けた。慕容廆は遼東に住む徐郁の下へ逃走すると、その家屋に入って席の裏側に隠れた。追っ手もまた家屋に浸入してその姿を探したが、遂に見つからずに引き返した[2]。これにより慕容廆は難を逃れた。

太康6年(285年)、部下の裏切りにより慕容耐は殺害され、慕容廆が大人として迎えられた[1]

脚注

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  1. ^ a b 『資治通鑑』では太康6年(285年)だが、『十六国春秋』では太康5年(284年)とする。
  2. ^ 『十六国春秋』巻23による

参考資料

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先代
慕容渉帰
慕容部の大人
第4代:283年 - 285年
次代
慕容廆