慈眼院 (文京区)
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慈眼院 | |
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所在地 | 東京都文京区小石川3-17-12 |
山号 | 無量山 |
院号 | 慈眼院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不詳 |
正式名 | 無量山慈眼院 |
別称 | 澤蔵司稲荷 |
公式サイト | 浄土宗|慈眼院「澤蔵司稲荷」(東京・小石川)公式ホームページ |
法人番号 | 7010005000384 |
概要
[編集]創建年代は不明である。ただ1620年(元和6年)、「沢蔵司稲荷」の別当寺に指定されていることから、その頃までには存在していたと推測される[1]。
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本堂
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お穴
沢蔵司伝説
[編集]沢蔵司(たくぞうす)は、江戸時代初期に江戸に住んでいたという修学僧[2]。
元和年間、浄土宗の教義を究めたいと「沢蔵司」と名乗る僧が伝通院に入門した。当時、伝通院は浄土宗の関東十八檀林の一つとされ、教学の根本道場として、多くの修学僧が学んでいた[1]。
沢蔵司は忽ち頭角を現し、3年で教義を究めるまでになった。ある日、伝通院高僧の廓山・極山の両和尚の夢の中に沢蔵司が現れ、「自分は千代田城内の稲荷大明神であり、長年の望みだった浄土の奥義を究めることができた。これからは元の稲荷神に戻るが、伝通院の守護神となって恩に報いたい。」と告げ、姿を消したという。そういう経緯から、当院に稲荷神を祀ることになった[1][3]。
沢蔵司は蕎麦が好物とされ、伝通院門前の蕎麦屋によく行っていた。2023年(令和5年)現在も沢蔵司お気に入りの蕎麦屋(稲荷蕎麦「萬盛」)は営業を続けている[1]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 江幡潤 著『文京区史跡散歩 (東京史跡ガイド5)』学生社、1992年