慈眼寺 (小千谷市)
慈眼寺 | |
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所在地 | 新潟県小千谷市平成2丁目3-35 |
山号 | 船岡山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
公式サイト | 慈眼寺 |
法人番号 | 9110005012847 |
慈眼寺(じげんじ)は、新潟県小千谷市平成2丁目3-35にある寺院。山号は船岡山(ふなおかさん)。本尊は聖観世音菩薩。宗派は真言宗智山派。
歴史
[編集]寺伝によれば、天武天皇の白鳳年間(7世紀末)に薩明大徳が創建したと伝わる。貞観2年(860年)に真雅が創建したという説もある(『年表小千谷』)。
慶応4年(1868年)5月2日 (旧暦)には越後国長岡藩家老河井継之助と新政府軍監の岩村精一郎(のちの岩村高俊)が会談したことで知られている。河井は中立和平を訴えたが、決裂し、戊辰戦争の内でも激戦として知られる北越戦争に突入した[1]。
境内
[編集]境内には、山門、船岡観音堂、慈眼寺本堂、庫裡、小千谷幼稚園などの建物と岩村軍監、河井総督会見談判所(本堂内)、同上記念碑の戊辰史蹟などがある。
岩村河井会見記念碑は、慶応4年5月2日、この寺で両者が会見し談判した史実を記念して、昭和14年(1939年)、当山先代住職船岡芳快の発願によって建てられたものである。
碑文は徳富蘇峰の撰、篆額と書は小千谷市出身の島田博の筆である。
船岡観音
[編集]現在は慈眼寺境内に船岡観音があるが、以前は小千谷市西中にあったという。小千谷市西中には今でも観音堂という地名がのこっている。
空海(弘法大師)が旅の途中、村人に頼み庵を結び、しばらく住んでいた。空海は説教・祈祷・看病・堰の造営などをし、夜は仏像を刻んでいた。やがて、三尺六寸の聖観音像が完成し、空海は村人に、「この観音様を拝み、仏の教えを守れば、皆は極楽往生するだろう。」と言い残して村を去っていったという。
文化財
[編集]登録有形文化財
[編集]小千谷市指定文化財
[編集]- 岩村・河井会談の処
- 岩村高俊自伝草稿
慈眼寺を舞台とした作品
[編集]交通
[編集]信濃川左岸の市街地に立地し、山門は寺町通り(県道49号)に面する。
- 関越自動車道小千谷ICより約1.5km、車で約8分。
- 越後交通「平成2丁目」バス停(県道49号沿い)より徒歩すぐ、または「本町西」バス停(国道291号本町通り沿い)より徒歩約3分。
- JR上越線小千谷駅より西へ約2 km。駅から上記バス停まで路線バスで約10分。
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ 反薩長の英雄「河井継之助」を知っていますか 武田鏡村 東洋経済(2017年10月17日)2017年10月19日閲覧
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]座標: 北緯37度18分27.1秒 東経138度47分39.6秒 / 北緯37.307528度 東経138.794333度