感応寺 (世田谷区)
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感応寺 | |
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所在地 | 東京都世田谷区上馬4-30-1 |
位置 | 北緯35度38分17.1秒 東経139度39分35.5秒 / 北緯35.638083度 東経139.659861度座標: 北緯35度38分17.1秒 東経139度39分35.5秒 / 北緯35.638083度 東経139.659861度 |
山号 | 如法山 |
院号 | 正覚院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 江戸時代初期 |
開山 | 清薫尼 |
公式サイト | 水子供養-永代供養-ペット葬儀「浄土宗感応寺」東京都世田谷区 |
法人番号 | 2010905000133 |
歴史
[編集]江戸時代初期、清薫尼によって開山された。清薫尼は江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の侍女であった。牛島(現・東京都墨田区)の離れ御殿を与えられ、寺を創建した。これが当寺の起源である[1]。
当初の名称は「清薫寺」であったが、第5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院が綱吉の病気平癒を祈願したところ、たちまち治ったため、桂昌院はこれに感謝して寺領を寄進し、「感応寺」に改称させた[1]。
1923年(大正12年)の関東大震災の際、17世住職平松誡厚法尼は弟子たちとともに本尊等の寺宝を背負って、本所被服廠跡地に避難しようとした。ところが、どこからともなく「被服廠跡へは行くな、吾妻橋へ行け」という声が聞こえ、その通りにしたところ、無事避難できた[2]という[3]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『せたがや社寺と史跡(その三)』世田谷区教育委員会、1970年