愛知県立成章高等学校
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(愛知県立成章高等学校赤羽根校舎から転送)
愛知県立成章高等学校 | |
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北緯34度40分26.17秒 東経137度15分47.8秒 / 北緯34.6739361度 東経137.263278度座標: 北緯34度40分26.17秒 東経137度15分47.8秒 / 北緯34.6739361度 東経137.263278度 | |
過去の名称 |
成章館 田原町立成章館 田原町立中学成章館 渥美郡立成章中学校 愛知県成章中学校 田原裁縫練習所 田原町立技芸専修学校 田原町立技芸専修女学校 田原高等技芸女学校 田原女子実業学校 愛知県田原高等女学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛知県 |
学区 |
三河学区 共通群 Bグループ (商・生文) 専門学科 Bグループ |
併合学校 | 愛知県田原高等女学校 |
理念 |
自主・剛健 正義・誠実 知性・教養 |
設立年月日 | 1901年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
杉山 (1952年廃止) 野田 (1963年廃止) 赤羽根 (2006年廃止) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 総合ビジネス科(1年生のみ) 生活文化科 商業科(2,3年生のみ) |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D123210001357 |
高校コード | 23222A |
所在地 | 〒441-3421 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
愛知県立成章高等学校(あいちけんりつ せいしょうこうとうがっこう)は、愛知県田原市にある普通科、商業科、生活文化科併設の県立高等学校。
江戸時代に創設された田原藩の藩校成章館を前身とし、旧制県立中学の流れを汲む伝統のある公立高校である。
沿革
[編集]藩校
[編集]- 1810年(文化7年) - 田原藩主・三宅康和によって、藩校を設立。
- 1811年(文化8年)- 藩校を「成章館」と命名。名の「成章」は、『論語』公冶長篇の中にある句「斐然成章」に基づく。
- 1871年(明治4年)- 廃藩置県に伴い、廃校となる。
旧制時代
[編集]- 1901年(明治34年) - 成章館を再興。この年を、学校創立年としている。
- 1905年(明治38年) - 「私立田原裁縫練習所」が創設。
- 1906年(明治39年) - 田原裁縫練習所に、本科(修業年限2年)と別科(修業年限は任意)が設けられる。
- 1908年(明治41年) - 田原裁縫練習所本科が田原町に移管し、「田原町立技芸専修学校」となる[注釈 1]。
- 1919年(大正8年) - 「渥美郡立成章中学校」創設。
- 1921年(大正10年)[3]もしくは 1922年(大正11年)[4] - 田原町立技芸専修学校、「田原町立技芸専修女学校」と改称。
- 1922年(大正11年) - 郡制廃止に伴い、成章中学校が県に移管。「愛知県成章中学校」となる。
- 1931年(昭和6年) - 田原町立技芸専修女学校、「田原高等技芸女学校」に改編。
- 1944年(昭和19年) - 田原高等技芸女学校、「田原女子実業学校」に改称。
- 1946年(昭和21年) - 田原女子実業学校、「愛知県田原高等女学校」となる。
新制時代
[編集]- 1948年(昭和23年) - 学制改革により、旧制成章中学校と旧制田原高等女学校を統合。愛知県立成章高等学校となる。
- 1951年(昭和26年) - 前年に設立された私立和敬女子専門学校を前身とし、県成章高校赤羽根分校昼間定時制が発足。
- 1962年(昭和37年) - 赤羽根分校、全日制となる。
- 1972年(昭和47年) - 野球部が 第44回選抜高等学校野球大会に出場(初出場)。1回戦の対諫早高校(長崎県)戦にて、5対3で敗れる。
- 1985年(昭和60年) - 弓道部女子がインターハイで優勝。
- 1987年(昭和62年) - 赤羽根分校、家政科から普通科へ改編
- 1996年(平成8年) - 赤羽根分校、赤羽根校舎となる。
- 2001年(平成13年) - 学校創立100周年記念式典を挙行[5]。
- 2006年(平成18年) - 赤羽根校舎閉校[6]
- 2008年(平成20年) - 野球部が 第80回選抜高等学校野球大会に21世紀枠で出場(36年ぶり2回目)。1回戦の対駒大岩見沢(北海道)戦で甲子園初勝利をあげた(3対2)。また、応援団が最優秀応援団賞を受賞。なお、この時エースナンバーを背負っていたのは、のちに東京ヤクルトスワローズの主力選手となった小川泰弘である。
- 2015年(平成26年) - 弓道部女子がインターハイでベスト4。
- 2018年(平成30年) - 弓道部女子個人の部インターハイで優勝[7]。
野球部
[編集]- 1906年(明治6年) - 成章野球部創立。
- 1972年(昭和47年) - 野球部が第44回選抜高等学校野球大会に出場したが、諫早に5ー3で敗れて初戦敗退となった。
- 2008年(平成20年) - 野球部が第80回記念選抜高等学校野球大会に36年ぶりに出場し、初戦であり、またこの選抜大会の開幕戦で駒大岩見沢を3ー2で甲子園初勝利をあげた。次の試合で、平安に3ー2で敗れて2回戦敗退となった。[8]
同窓会
[編集]成章高校の同窓会である「成章会」があり、総会が開催されている。地区成章会として、関東、関西、名古屋、豊川、豊橋、岐阜、三重、遠江がある[9]。
著名な卒業生
[編集]- 上村千一郎 - 元衆議院議員、元環境庁長官
- 杉田元司 - 元衆議院議員
- 鈴木克幸 - 元田原市長
- 山下政良 - 田原市長
- 白井文吾 - 中日ドラゴンズ前球団オーナー、中日新聞社取締役会長
- 光浦靖子 - お笑いタレント(お笑いコンビ「オアシズ」)
- 大久保佳代子 - お笑いタレント(お笑いコンビ「オアシズ」)
- 平江巌 - 元プロ野球選手(近鉄バファローズ)
- 小川泰弘 - プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
- 上田昇 - 二輪ロードレーサー(WGP125CCクラス)
- 岡本重明 - 篤農家、田原市議会議員
- 久田哲史 - 実業家、Speee創業者・元代表取締役、Print代表取締役、Datachain代表取締役
- 原光隆 - フリーアナウンサー、元東海ラジオアナウンサー
- 鈴木美景 - 歌手
- 渡会久美子 - 女優
注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “田原市景観基本計画(本編)” (PDF). 田原市. p. 47 (2013年3月). 2018年1月8日閲覧。
- ^ 田原町史 1975, p. 361.
- ^ 田原町史 1978, p. 363.
- ^ 成章八十年史 1983, p. 559.
- ^ 「歴史刻み新たな1歩 成章高100周年式典」東愛知新聞 2001年10月11日
- ^ 「さようなら思い出の学び舎 成章高赤羽根校舎56年の歴史に幕」東愛知新聞 2006年3月3日
- ^ 「「支えてくれた人に感謝」と喜び」 東日新聞2018年8月7日朝刊10面
- ^ 「甲子園の栄光後世へ」東愛知新聞 2008年11月25日
- ^ 愛知県立成章高等学校、同窓会ホームページ
- ^ a b 「関東成章会物語」平成29年6月 関東成章会
参考文献
[編集]- 田原町文化財調査会編 編『田原町史』 中巻、田原町教育委員会、1975年。全国書誌番号:73021953。
- 田原町文化財保護審議会, 田原町史編さん委員会編 編『田原町史』 下巻、田原町, 田原町教育委員会、1978年。全国書誌番号:78026350。
- 成章八十年史編集委員会編 編『成章八十年史』愛知県立成章高等学校創立八十周年記念事業実行委員会、1983年。全国書誌番号:84039660。