愛宕通致
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愛宕通致 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 文政11年2月27日[1](1828年4月11日) |
死没 | 明治19年(1886年)11月10日[2] |
官位 | 従三位、右近衛権少将、子爵 |
主君 | 仁孝天皇→孝明天皇→明治天皇 |
氏族 | 愛宕家 |
父母 | 父:愛宕通祐、母:清水善子(清水正久の娘) |
妻 | 庭田祐子(庭田重基の娘)、藤波秀子(藤波教忠の娘) |
子 |
通則、通泰 養子:通旭 |
愛宕 通致(おたぎ みちずみ[2]/みちむね[1])は、幕末の公家、明治期の官僚。
経歴
[編集]山城国京都で権中納言・愛宕通祐と善子(中院家侍清水正久の娘)の息子として生まれる[1]。右京権大夫、侍従、右近衛権少将、右近衛権中将を歴任し、元治元年12月(1865年)儲君親王(のちの明治天皇)家司となる[1]。
安政5年(1858年)廷臣八十八卿列参事件に加わり、また、慶応2年8月(1866年)朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に養子の通旭と共に加わった[1]。
明治維新後は、桂宮家祗候、殿掌などを務めた[1]。父の通祐の死去により1876年1月22日、家督を継承し[2]、1884年7月8日、子爵を叙爵[3]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 愛宕家初代 1884年 - 1886年 |
次代 愛宕通則 |