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愛宕 福子(あたご とみこ、1656年(明暦2年) - 1681年(延宝9年))は、霊元天皇の掌侍。父は権大納言の愛宕通福[1]。母は千種有能の娘。源内侍局と称した。源福子とも呼ばれる。
権大納言の愛宕通福の娘として生まれる。霊元天皇の掌侍となり、1672年(寛文12年)に第二皇子の寛隆法親王、1675年(延宝3年)に第四皇女の綱宮を生む。源内侍局と称された[2]。
1681年(延宝9年)、死去。
- ^ “愛宕家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月15日閲覧。
- ^ 「歴代皇后人物系譜総覧」(新人物往来社、2002年)