コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

愛宕信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
愛宕神から転送)
愛宕神社
愛宕権現。仏像図彙 (1783年)より。

愛宕信仰(あたごしんこう)とは、京都市愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道信仰である。日本全国で「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約1000社ある[1]。特に東北地方に多く分布する。祭神は多くの場合、カグツチノミコトイザナミノミコトである[1]

歴史

[編集]

愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり[1]、中世に入ると愛宕神社が建立され[1]、そこから修験者が全国に展開して愛宕信仰を広めたとされる[1]

戦国時代は勝軍地蔵を本地仏としたことから、戦に勝つための軍神として信仰された[2]。武士が勝利の神として愛宕神社を信仰し、やがて勝利の神が転じて火防の神様となり、これを各藩の武士が参勤交代の際に地元に持ち帰り、各地に愛宕神社を祀るようになったとする説もある[1]。例えば、京都の愛宕山は、江戸時代に入ってから、軍神信仰から火伏信仰に転化したものである[2]

勝軍地蔵だけでなく、軻遇突智(火産霊尊とも)も共に祀った。現在でも、愛宕の縁日は地蔵と同じ毎月24日である。民間では、各地に「愛宕講」と呼ばれるが組織された。「千日詣」と称し、8月1日に参拝すると千日参拝したのと同じ御利益があるとされる。[要出典]

直江兼続兜の前立に「愛」をまとっていた理由の説の1つとして、愛宕信仰説がある[3]

主な愛宕神社

[編集]
総本社
北海道・東北地方
近畿地方
九州・沖縄地方

その他「愛宕神社 (曖昧さ回避)」を参照のこと。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 火伏せの神「愛宕」の由来 ─日本三大愛宕を巡って”. 消防庁. 2023年1月15日閲覧。
  2. ^ a b 原島知子「愛宕信仰の地域的展開 : 宮城県白石市周辺を中心に」『佛教大学アジア宗教文化情報研究所研究紀要』第2巻、佛教大学アジア宗教文化情報研究所、2006年3月、237-251頁。 
  3. ^ 【イチから分かる】直江兼続 「信義ある智将」に残る謎 (3/4ページ) 産経ニュース 2009.5.6

関連項目

[編集]