愛媛県立松山南高等学校
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(愛媛県立松山第二高等学校から転送)
愛媛県立松山南高等学校 | |
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北緯33度50分1.38秒 東経132度45分46.2秒 / 北緯33.8337167度 東経132.762833度座標: 北緯33度50分1.38秒 東経132度45分46.2秒 / 北緯33.8337167度 東経132.762833度 | |
過去の名称 |
私立愛媛県高等女学校 私立愛媛実業女学校 私立愛媛高等女学校 愛媛県立松山高等女学校 愛媛県立松山第二高等学校 愛媛県立松山南高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 愛媛県 |
校訓 | 自らを律せよ |
設立年月日 | 1891年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 砥部分校 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
設置学科 |
普通科 理数科 |
学校コード | D138220100037 |
高校コード | 38124B |
所在地 | 〒790-0023 |
愛媛県松山市末広町11番地1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
愛媛県立松山南高等学校(えひめけんりつまつやまみなみこうとうがっこう)は、愛媛県松山市に位置する県立高等学校。
概観
[編集]文部科学省のスーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定されており、平成14年度の理数科入学生と科学系部活動に所属する生徒を主対象に、平成16年度までの3年間さまざまな活動[要出典]に取り組んだ。その成果をさらに発展させるべく、平成17年度からの新規SSH(5年間)事業にも改めて指定された。また、平成22年度からもSSH(5年間)事業に指定され、さらに、平成27年度から新たにSSH(5年)事業が指定された。事業開始初年度から現在まで継続して指定校となっている。
沿革
[編集](沿革節の主要な出典は公式サイト[1])
- 1891年(明治24年) - 私立愛媛県高等女学校として設立。
- 1896年(明治29年) - 私立愛媛実業女学校と改称。
- 1898年(明治31年) - 私立愛媛高等女学校と改称。
- 1901年(明治34年) - 愛媛県立松山高等女学校として県立に移管。
- 1948年(昭和23年) - 愛媛県立松山第二高等学校と改称。
- 1949年(昭和24年) - 愛媛県立松山工業高等学校、愛媛県立伊予農業高等学校を併合し愛媛県立松山南高等学校(本校、工業部、伊予分校、上灘分校)として開校。
- 1952年(昭和27年) - 伊予分校が愛媛県立伊予農業高等学校として独立。
- 1954年(昭和29年) - 工業部が愛媛県立松山工業高等学校として独立。
- 1957年(昭和32年) - 上灘分校廃止。
- 1962年(昭和37年) - 愛媛県立砥部高等学校を併合し砥部分校とする。
姉妹校
[編集]- 台北市立建国高級中学(臺北市立建國高級中學)
- 新北市立鶯歌高級工商職業学校(新北市立鶯歌高級工商職業學校。砥部分校の姉妹校)
著名な出身者
[編集]財界
[編集]法曹
[編集]- 門上千恵子 - 日本初の女性検事
学者
[編集]文学
[編集]芸術
[編集]芸能
[編集]マスコミ
[編集]- 天野祐吉 - コラムニスト
- 金野純子 - 元あいテレビキャスター
- 上島嘉郎 - ジャーナリスト
- 柴田奈津子 - 元フリーアナウンサー、元岡山放送アナウンサー
- 仙波紀子 - 元NHK松山局契約キャスター
- 永野彰子 - 南海放送アナウンサー
- 本田朋子 - フリーアナウンサー(元フジテレビアナウンサー)
- 松本直幸 - 南海放送アナウンサー
- 松山容子 - 元NHK松山局職員、女優
- 水口佳美 - 気象予報士、元愛媛朝日テレビアナウンサー
スポーツ
[編集]政治・行政
[編集]- 野志克仁 - 第30代松山市長、元南海放送アナウンサー
脚注
[編集]- ^ “沿革 - 伝統から創造へ”. 愛媛県立松山南高等学校. 2019年7月13日閲覧。