恵藤第四郎
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恵藤 第四郎 | |
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生誕 |
1893年9月18日 日本 大阪府 |
死没 | 1952年2月24日(58歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
恵藤 第四郎(えとう だいしろう、1893年(明治26年)9月18日[1] - 1952年(昭和27年)2月24日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1893年(明治26年)に大阪府で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[1]。1939年(昭和14年)6月に広島陸軍幼年学校訓育部長に就任し[2]、1940年(昭和15年)3月9日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。同年8月1日に歩兵第212連隊長(第12軍・第32師団・第32歩兵団)に転じ[2]、日中戦争に出動[1]。兗州に駐屯し[1]、魯南剿共作戦に参加した[1]。1943年(昭和18年)8月に東部軍教育隊長に転じ[2]、1944年(昭和19年)6月21日に名古屋陸軍幼年学校長に就任し[2]、8月1日に陸軍少将に進級した[2]。
1945年(昭和20年)4月6日に独立混成第96旅団長(第1総軍・第12方面軍・東京湾兵団)に就任し[1]、三浦半島で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。