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恵良氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

恵良氏(えらし)は、日本国の武家。

  • 豊後清原姓恵良氏
  • 阿蘇氏流恵良氏

豊後清原姓恵良氏

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豊後国玖珠郡恵良村より起こる。恵良正高、通次、末次、雅次あり。豊後国上毛郡、薬師寺村を35代領知する。

天文元年には、大友勢妙見岳を望むときに、恵良氏を名乗るものあり。後に、飯田氏を名乗る。

阿蘇氏流恵良氏

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肥後阿蘇氏の族に恵良惟澄を名乗るものあり、恵良小次郎と称す。およそ上島、恵良、大里と称するものは、この傍流である[1]

  • 阿蘇惟資:惟澄の祖父。阿蘇惟景の嫡男。大宮司職をゆずり受けるが、早世してしまう。
  • 恵良惟種:別称、九郎惟種。惟澄の父。罪を犯して闕所され、柏村を没収される[2]
  • 恵良惟澄:元弘三年、阿蘇惟直と共に金剛山に赴く際に、令旨を賜り、備後の国に寄る。このとき、惟澄は、自ら「恵良筑後守阿蘇筑後守」と書く。正平16年(1361年)になって初めて「阿蘇大宮司惟澄」と名乗る。南北朝時代に征西府とともに九州を制圧し、南朝勢力最高の武将として知られた。正平19年、長子・阿蘇惟村に職を譲り、阿蘇家内紛の終結を試みた。
  • 恵良豊前権守惟雄:別名、小三郎。阿蘇惟直の庶子であり、恵良惟澄の弟。合志原合戦に功労あり。
  • 恵良彌三郎惟賢:惟澄の弟。南郷城攻めに功績あり。葦北地頭となる。
  • 恵良彌次郎惟永:惟澄の弟。豊後国朽綱郷地頭。
  • 恵良惟村:惟澄の長男。北朝大宮司阿蘇惟村。足利将軍家に大宮司職を任命される。
  • 恵良惟武:惟澄の次男。南朝大宮司阿蘇惟武。菊池武光に「武」の字を与えられ、征西府に大宮司職を任命される。
  • 恵良惟里:惟澄の三男。
  • 恵良都々丞丸:惟澄の四男。
  • 恵良別当丸:惟澄の五男。

脚注

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  1. ^ 姓氏家系大辞典. 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. p. 818-819. 2019年11月11日閲覧。
  2. ^ 中世の阿蘇社と阿蘇氏. 戎光祥出版. (2019年3月1日)