恵公 (斉)
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恵公 姜元 | |
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斉 | |
公(周制における爵位は侯) | |
王朝 | 斉 |
在位期間 | 前609年 - 前599年 |
姓・諱 | 姜元 |
諡号 | 恵公 |
没年 | 前599年 |
父 | 桓公 |
母 | 少衛姫 |
恵公(けいこう、? - 紀元前599年)は、春秋時代の斉の君主。諱は元。
生涯
[編集]公子元(恵公)は斉の桓公と少衛姫のあいだの子として生まれた[1]。紀元前642年、公子元は斉の孝公の即位に反対し、宋軍と戦ったが、甗で敗れた[2]。斉の内乱を避けて母の実家である衛に亡命した。紀元前609年7月、斉の公子商人が斉君舎を殺害した。商人は公子元を擁立しようとしたが、身の危険を感じて商人に自ら即位するよう勧めた。商人(懿公)が即位したが、公子元は懿公に服さず、公と呼ばずに「夫己氏」と呼んだ[3]。紀元前609年5月、懿公が殺害されると、公子元が衛から迎えられて斉公として即位した[4]。紀元前608年、恵公は魯の宣公と平州で会合した。魯から済西の田地の割譲を受けた[5]。紀元前606年から紀元前605年にかけて、赤狄の侵攻を受けた[6]。紀元前602年、魯軍とともに莱を攻撃した[7]。紀元前599年春、済西の田地を魯に返還した。4月己巳、恵公は死去し[8]、子の頃公が斉公として即位した[9]。