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息長 道足(おきなが の みちたり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は真人。官位は従五位下・摂津山背検税使。
称徳朝の天平神護2年(766年)従五位下に叙爵し、神護景雲4年(770年)大監物に任官する。
宝亀2年(771年)長門守に転じると、宝亀7年(776年)摂津山背検税使に任ぜられるなど、光仁朝では地方行政に携わっている。
『平城宮木簡』4-4555号にも名前が記されている[1]。
注記のないものは『続日本紀』による。
- 『続日本紀』4・5 新日本古典文学大系15・16 岩波書店、1995年、1998年
- 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
- 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年