息長臣足
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下散位 |
主君 | 元明天皇→元正天皇→聖武天皇 |
氏族 | 息長真人 |
息長 臣足(おきなが の おみたり、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は真人。官位は従五位下・出雲守。
経歴
[編集]元明朝末の和銅7年(714年)春日倉老・高向大足・大伴山守・大宅大国らとともに従五位下に叙爵される。
元正朝にて出雲守を務め、在職中の養老3年(719年)伯耆国および石見国の按察使を兼ねる[1]。その後、神亀元年(724年)10月にかつて出雲按察使の官職にあった際に贖貨狼藉(ぞっかろうぜき、不当な蓄財が目にあまった)であったことを咎められて、位禄を没収された。この時の官位は散位従五位下であったが、『考課令』58条「犯私罪条」に基づき、職を解かれ、正五位に準ずる按察使の季禄や公廨田2町・仕丁2人も没収されている。ただし、この年2月の聖武天皇の即位にともなう大赦も実施されていることから、『考課令』64条「官人犯罪条」の「もしその罪が免官以上である場合、および、贈賄など不当利得の罪を犯して恩赦以前に獄成った場合には、(たとえその後の恩赦等でその罪が免じられても)その罪を含む景迹を以て通計すること」に該当し、勅断により、その罪を悪んで位禄を没収されたものと推定される[2]。
没年は明らかではないが、『懐風藻』によると享年44。同書には、「春日宴に侍す」という題で、帝徳をたたえる五言律詩が一首収録されている[3][4]。
官歴
[編集]『続日本紀』による。