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息長浄継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

息長 浄継(おきなが の きよつぐ、生没年不詳)は、奈良時代官人。名は清健(きよたけ)・清継とも記される。のち真人官位従五位下尾張介

経歴

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称徳朝天平神護元年(765年)右京の人で内匠寮史生正八位上・息長清健が連姓から真人姓に改姓しており、浄継と同一人物ではないか、と言われている[誰?]。息長連は応神天皇皇子稚渟毛二派王の後裔と称し[1]息長真人の一族とされる[2]天平神護2年(766年従六位下から四階昇進して従五位下に昇叙される(この時の名は浄継)。

その後、しばらく記録には現れないが、桓武朝延暦5年(786年)になって木工助に任ぜられると、雅楽助を経て、延暦8年(789年桓武天皇の皇太后高野新笠喪葬に際して、藤原継縄らとともに御葬司を務める。翌延暦9年(790年尾張介として地方官に転じた。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『新撰姓氏録』右京皇別
  2. ^ 太田[1963: 890]

参考文献

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