志田村
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しだむら 志田村 | |
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廃止日 | 1950年12月15日 |
廃止理由 |
編入合併 志田村、荒雄村、宮沢村 → 古川町 (同日付で古川市となる) |
現在の自治体 | 大崎市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 志田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 19.2 km2 |
総人口 |
7,709人 (『宮城県町村合併誌』、1950年12月14日) |
隣接自治体 |
志田郡:古川町、三本木町、高倉村 栗原郡:宮沢村 玉造郡:西大崎村、東大崎村 加美郡:広原村、鳴瀬村 |
志田村役場 | |
所在地 | 宮城県志田郡志田村 |
座標 | 北緯38度34分17秒 東経140度54分47秒 / 北緯38.57125度 東経140.91303度座標: 北緯38度34分17秒 東経140度54分47秒 / 北緯38.57125度 東経140.91303度 |
ウィキプロジェクト |
志田村(しだむら)は、1950年(昭和25年)まで宮城県志田郡の北西部にあった村。現在の大崎市古川新堀などにあたる。
地理
[編集]- 河川:江合川
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、西荒井村・荒田目村・飯川村・柏崎村・斎下村・渋井村・新堀村・塚目村・上中目村・保柳村・耳取村・米倉村・米袋村の計13か村が合併して志田村が発足。
- 1950年(昭和25年)12月15日 - 志田郡荒雄村・栗原郡宮沢村と共に志田郡古川町へ編入。古川町は同日付で市制施行し、古川市となる[1]。
行政
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 後藤文助 | 1889年(明治22年)4月23日 | 1902年(明治35年)2月22日 | |
2 | 加藤嘉右ェ門 | 1902年(明治35年)4月8日 | 1906年(明治39年)4月7日 | |
3 | 佐々木喜惣治 | 1906年(明治39年)4月9日 | 1907年(明治40年)2月16日 | |
4 | 中川平三郎 | 1907年(明治40年)2月28日 | 1907年(明治40年)3月26日 | |
5 | 渡辺五兵衛 | 1907年(明治40年)4月26日 | 1911年(明治44年)4月23日 | |
6 | 中川平三郎 | 1911年(明治44年)5月3日 | 1911年(明治44年)11月17日 | 再任 |
7 | 門脇義雄 | 1911年(明治44年)11月30日 | 1917年(大正6年)6月22日 | |
8 | 佐々木家寿治 | 1917年(大正6年)7月27日 | 1919年(大正8年)8月24日 | |
9 | 森谷熊治郎 | 1919年(大正8年)10月31日 | 1920年(大正9年)6月19日 | |
10 | 佐々木庄右ェ門 | 1920年(大正9年)8月14日 | 1925年(大正14年)5月30日 | |
11 | 佐々木家寿治 | 1925年(大正14年)6月19日 | 1932年(昭和7年)1月31日 | 再任 |
12 | 加藤久之助 | 1932年(昭和7年)2月27日 | 1939年(昭和14年)1月21日 | |
13 | 森谷菊治郎 | 1939年(昭和14年)6月9日 | 1947年(昭和22年)11月28日 | |
14 | 門脇力 | 1947年(昭和22年)4月15日 | 1950年(昭和25年)12月14日 |
交通
[編集]鉄道
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)