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志津嶽 堅太夫(しづがたけ けんだゆう)は、江戸時代の大相撲の第62代大関。番付上は「奥州」頭書。
安永9年(1780年)春場所(3月)、東大関として大相撲入りしたが、取組には登場しなかった。次の同年冬場所(10月)は西前頭3枚目まで陥落し、根津ヶ嶽堅太夫(ねづがたけ けんだゆう)と改名するもやはり全く取組に出場しないまま、たったの2場所で引退してしまった。
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