志村貞精
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時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 元和7年3月15日(1621年5月6日) |
別名 | 平太、又右衛門、宗節(法名) |
墓所 | 普済寺(東京都立川市) |
主君 | 徳川家康 |
氏族 | 清和源氏小笠原氏流志村氏 |
父母 | 父:志村貞盈 |
妻 | 鷹野右近の娘 |
子 | 志村貞昌、田澤治左衛門、河野通次、娘(荻原友村の妻) |
志村 貞精(しむら さだきよ)は、江戸時代の武将、旗本。八王子千人同心9人の千人頭の内の一家。
概要
[編集]文禄元年(1592年)文禄の役において名護屋城に2年間在陣し、その後八王子(千人町)に移る。
慶長5年(1600年)会津征伐に河野通玄、窪田正吉(窪田吉正)、中村安利、山本忠房、千人頭5名にて下野国小山参陣。同年の関ヶ原の戦い本戦にて、千人頭10名参陣。この時、村越直吉と河野通玄が長柄備を争い、徳川家康指名にて河野通玄が指揮にて長柄備を指名される。
出典
[編集]- 賢甫義哲、「長楽寺永禄日記」、続群書類従完成会、2003年
- 小林 一岳, 則竹 雄一「【もの】から見る日本史―戦争1 中世戦争論の現在」, 青木書店, 2004/11
- 乃至政彦, 「戦う大名行列」, ベストセラーズ, 2018/09
- 『寛政重修諸家譜』巻第千二百四十五