志方町上冨木
表示
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2023年9月) |
志方町上冨木(しかたちょうかみとみき)は、兵庫県加古川市の地名。郵便番号は675-0314[1]。
地理
[編集]加古川市に合併されるまえは旧志方町に位置していた。[1]その前には旧志方村に、その前には上冨木村に位置していた。
ほかにも町内には法華山谷川が通っている。また東部には様々な店がある。北側には二子池という池があり法華山谷川につながっている。
大まかに東部と西部に住宅街が,中部には田園が広がっている。
隣接している町は西には志方町横大路、北には志方町志方町、東には
志方町投松、南東には西神吉町宮前、南西には西神吉町鼎である。北部には県道65号が通っている。
- 池
歴史
[編集]上冨木村は下富木村に対しての名である[3]。村の西北隅大歳神社の境内に大なる松樹が数多あったことにより名つけられた[3]。「富木富木と飛んでは来たがこゝか富木か藪の中」という俚謡がある[注 1]。
人口
[編集]『兵庫県印南郡統計書 明治35年』によると上冨木村の戸数は54戸、人口は322人である[2]。
経済
[編集]産業
[編集]- 企業
- かつて存在した工場
- 長谷川莫大小工場 - 事業開始年月・1913年6月、主要事業・莫大小製品製造業、生産品目・綿靴下[7]
- 横山メリヤス工場 - 事業開始年月・1916年4月、主要事業・莫大小製品製造業、生産品目・綿靴下[7]。
- 小原莫大小工場 - 事業開始年月・1923年3月、主要事業・莫大小製品製造業、生産品目・綿靴下[7]。
- 小原メリヤス工場 - 事業開始年月・1924年12月、主要事業・莫大小製品製造業、生産品目・綿靴下[7]。
- 市川染工場 - 事業開始年月・1922年3月、主要事業・糸染業、生産品目・綿糸染色[7]。
- 長谷川染工場 - 事業開始年月・1920年3月、主要事業・糸染業、生産品目・綿糸染色[7]。
出身人物
[編集]- 平岡萬次郎 - 弁護士、衆議院議員[8]。農業、金貸し平岡太吉の長男。上富木字横山の出身。
- 平岡定太郎 - 内務官僚、樺太庁長官、福島県知事[8]。平岡萬次郎の弟[8]。作家三島由紀夫(本名は平岡公威)の祖父[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 市外局番 - 総務省
- ^ a b c 『兵庫県印南郡統計書 明治35年』22 - 23、37頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月9日閲覧。
- ^ a b c 『増訂印南郡誌 前編』36頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月10日閲覧。
- ^ a b “組合員情報”. 兵庫県靴下工業組合(兵庫県高砂市). 2024年5月11日閲覧。
- ^ 会社案内、キンキ産業株式会社サイト。
- ^ 『兵庫県工場名鑑 1980〜81年版』201頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 『兵庫県工場一覧 昭和5年12月末日現在』176 - 177頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月7日閲覧。
- ^ a b c 『代表的五十人 附・愚耳愚目日本紳士名鑑』191 - 194頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年3月27日閲覧。
- ^ “三島由紀夫が描いた関西 残された1本の松”. 産経新聞 (2020年10月15日). 2024年3月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 『兵庫県印南郡統計書 明治35年』兵庫県印南郡、1903年。
- 森本茂『代表的五十人 附・愚耳愚目日本紳士名鑑』森本茂、1912年。
- 兵庫県印南郡編『増訂印南郡誌 前編』兵庫県印南郡、1916年。
- 兵庫県内務部統計課編『兵庫県工場一覧 昭和5年12月末日現在』兵庫県、1931 - 1934年。
- 『兵庫県工場名鑑 1980〜81年版』兵庫県商工会議所連合会、1980年。