コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

徳永鹿之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳永 鹿之助
生誕 1899年2月27日
日本の旗 日本 山口県
死没 (1971-09-04) 1971年9月4日(72歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1920年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

徳永 鹿之助(とくなが しかのすけ、1899年明治32年)2月27日[1] - 1971年昭和46年)9月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

[編集]

1899年(明治32年)に山口県で生まれた[1]陸軍士官学校第32期[2][注釈 1]を卒業し、1920年(大正9年)12月26日陸軍工兵少尉に任官された[4]陸軍大学校第41期卒業[3]。フランス駐在を経て[2]1937年(昭和12年)3月31日陸軍大臣秘書官兼副官に就任[2]1938年(昭和13年)7月15日侍従武官に転じ[2]1940年(昭和15年)8月1日陸軍工兵大佐に進級した[2]1942年(昭和17年)3月2日北支那方面軍作戦課長に就任し[2]、中国戦線に出征[1]

1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将進級と同時に北支那方面軍参謀副長に着任[1][2]1945年(昭和20年)2月1日第36軍参謀長(第1総軍第12方面軍)に就任し[1][3]埼玉県浦和で終戦を迎えた[1][3]。終戦後は東海軍管区司令部附を経て、10月22日に東海軍管区参謀長に着任[5]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 日本陸軍将官辞典では30期卒業である[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 493頁.
  2. ^ a b c d e f g 外山 1981, 438頁.
  3. ^ a b c d 福川 2001, 494頁.
  4. ^ 外山 1981, 437頁.
  5. ^ 第4号 昭和20年11月10日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963400 
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」163頁。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026