徳永鹿之助
表示
徳永 鹿之助 | |
---|---|
生誕 |
1899年2月27日 日本 山口県 |
死没 | 1971年9月4日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1920年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
徳永 鹿之助(とくなが しかのすけ、1899年(明治32年)2月27日[1] - 1971年(昭和46年)9月4日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1899年(明治32年)に山口県で生まれた[1]。陸軍士官学校第32期[2][注釈 1]を卒業し、1920年(大正9年)12月26日に陸軍工兵少尉に任官された[4]。陸軍大学校第41期卒業[3]。フランス駐在を経て[2]、1937年(昭和12年)3月31日に陸軍大臣秘書官兼副官に就任[2]。1938年(昭和13年)7月15日に侍従武官に転じ[2]、1940年(昭和15年)8月1日に陸軍工兵大佐に進級した[2]。1942年(昭和17年)3月2日に北支那方面軍作戦課長に就任し[2]、中国戦線に出征[1]。
1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将進級と同時に北支那方面軍参謀副長に着任[1][2]。1945年(昭和20年)2月1日に第36軍参謀長(第1総軍・第12方面軍)に就任し[1][3]、埼玉県浦和で終戦を迎えた[1][3]。終戦後は東海軍管区司令部附を経て、10月22日に東海軍管区参謀長に着任[5]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。