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徳永晴美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳永 晴美(とくなが はるみ、1947年 - 2022年8月1日[1])は、ロシア語通訳者で、元上智大学外国語学部教授である。朝日新聞客員。横浜ロシア語センター講師。男性。

人物

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1947年北九州市出身。1965年福岡県立戸畑高等学校を卒業後モスクワに留学、1965年ルムンバ大学予科入学、1966年同大歴史・文学部入学(ロシア文学専攻)[2]

1970年6月、ソ連国内大学対象ロシア語国家試験A合格。ソビエト連邦モスクワルムンバ大学を修士号(MA)取得卒業。1970年に帰国後、同年9月よりソ連の新聞『トルード』(: Труд)東京支局長補佐ととなる。1975年より1978年7月まで同支局顧問[2]。1978年[2]夏期,モスクワ大学のロシア語教授法研究コースに短期留学。1978年8月から1980年5月まで、フリーの日露会議同時通訳者として活動。

1980年5月から1987年3月まで、ノーボスチ通信社東京支局に勤務。1987年4月から1990年9月まで、フリーの同時通訳者として活動。NHK教育テレビ『ロシア語講座』には1975年度より[3]スキット出演[4][5]1983年から1992年まで講師を務める[6]。この間、1980年8月創設の日本ロシア語通訳協会の初代会長に就任、「弟子」の米原万里が初代事務局長。1988年から1990年まで、通訳ガイド国家試験・ロシア語試験委員会主任を務める。

ゴルバチョフ・ソ連大統領、エリツィン・初代ロシア大統領、ノーベル賞受賞者サハロフ博士など多くの要人通訳を担当。

1990年10月,朝日新聞東京本社外報部次長職記者として入社、1992年5月から1995年9月末まで朝日新聞モスクワ支局次長。ボスニアナゴルノ・カラバフチェチェンなど旧ソ連圏の戦場ルポを執筆。帰国後2002年3月まで、朝日新聞東京本社の総合研究センター主任研究員。

2002年4月から2012年3月まで上智大学外国語学部ロシア語学科教授。2002年4月から8月まで在日ロシア大使館・日露通訳特別研修コース(日本人初の)主任講師。2012年5月から2014年12月まで日本国外務省研修所講師(非常勤)を務める。2018年10月から2019年3月までNHKラジオ「まいにちロシア語 応用編」講師。

2020年6月、米原万里とともに日本会議通訳者協会(JACI)特別功労賞受賞。

2022年8月1日、肝臓癌のため死去(享年75)[7]

著書

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  • 『ロシア語通訳コミュニケーション教本―会話からスピーチ・交渉へ』2001年5月 ナウカ
  • 『ロシア・CIS南部の動乱―岐路に立つプーチン政権の試練』2003年3月 清水弘文堂書房
  • 『実務のロシア語Ⅰ・Ⅱ』(アーバンプロ出版、2014)

監修・共著

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  • 『ロシア語通訳読本』(宇多文雄共著・日本放送出版協会、1978)
  • 『ロシア語版 日本案内』(菊次厚子共総監修・ロシア語通訳協会、1999)
  • 『ロシア語会話とっさのひとこと』(総監修・DHC出版、2003)
  • 『日常ロシア語会話ネイティブ表現』(監修・語研、2015)

出典

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  1. ^ 上智大学元専任教員(外国語学部ロシア語学科)徳永晴美先生が、8月1日に逝去されました”. 上智大学ソフィア会(同窓会公式サイト) (2022年12月19日). 2023年1月13日閲覧。
  2. ^ a b c 宇多文雄・徳永晴美共著『ロシア語通訳読本』(日本放送出版協会、1978年10月第1刷)・第4刷(1985年9月)奥付「著者紹介」より。
  3. ^ 宇多文雄・徳永晴美共著『ロシア語通訳読本』(日本放送出版協会、1978年10月第1刷)・第4刷(1985年9月)奥付「著者紹介」によると「1974年からレギュラー出演」。
  4. ^ 各年度初めの放送用テキスト('75年度の場合は『NHK ロシア語講座』'75年4-5月号(日本放送出版協会))には、レギュラー出演者の氏名と顔写真が掲載される。徳永は日本人だが、ルムンバ大学で覚えた生きたロシア語力を買われ、スキットには「ネイティヴ」格で出演していた。
  5. ^ NHKでは、1975年度までラジオ講座の名称が『ロシア語入門』であったため、『ロシア語講座』と言えば無条件でテレビ講座を指した。1976年度(1976年4月の第1月曜日)からラジオ講座も番組名が『ロシア語講座』と変更されたため、放送用テキスト(日本放送出版協会)にも「ラジオ」「テレビ」の区別が入るようになった。
  6. ^ NHK-TV『ロシア語講座』は、1990年度に『ロシア語会話』と番組名を変更した。
  7. ^ “ソ連要人会見通訳で活躍、徳永晴美さん死去 米原万里さんの「師匠」”. 朝日新聞デジタル. (2023年1月12日). https://www.asahi.com/articles/ASR1C438TR1CIIPE003.html 2023年12月10日閲覧。 

外部リンク

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