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徳川總子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳川 總子(とくがわ さとこ、1870年1月20日明治2年12月19日) - 1934年昭和9年)1月20日[1])は、明治時代大正時代昭和時代の女性。水戸徳川家12代当主・徳川篤敬の妻。父は高松藩主・松平頼聰。別名は聡姫

生涯

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高松藩主・松平頼聰の長女として生まれる。その後、水戸徳川家12代当主・徳川篤敬の妻となり2男1女(圀順・敬子(松浦陞室)・宗敬)を出産[2]

1907年(明治40年)には徳川光圀によって築かれた歴史書『大日本史』の発行に携わった[3]

1934年昭和9年)、死去。

脚注

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  1. ^ 平成新修旧華族家系大成 下巻』(霞会館、1996年)p.171
  2. ^ 徳川(德川)氏(御三家・水戸徳川家)”. 世界帝王辞典. 2023年5月18日閲覧。
  3. ^ 大日本史”. CiNii. 2023年5月18日閲覧。