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徳川知子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳川 知子(とくがわ ともこ、1875年明治8年)8月15日 - 1953年昭和28年)1月6日[1])は、明治から昭和時代戦後期の女性。田安徳川家9代当主・徳川達孝の夫人。父は島津忠義。母は山崎寿満子

生涯

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島津忠義の五女として生まれる。母は妾妻の山崎寿満子で、姉妹に菊麿王妃常子邦彦王妃俔子がおり、知子は香淳皇后の伯母にあたる[2]

前妻である徳川鏡子と死別した田安徳川家9代当主・徳川達孝の後妻となり、1899年明治32年)に長男の徳川達成を出産。1910年(明治43年)には五女の恵子を出産した[3]

1953年昭和28年)、死去[1]。享年77。

脚注

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  1. ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.161
  2. ^ 『一億人の昭和史』(2010年毎日新聞社[要ページ番号]
  3. ^ 田安徳川家”. 花筐館. 2023年10月16日閲覧。