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徳川 登代子(とくがわ さよこ、1865年(慶応元年) - 1939年(昭和14年))は、江戸時代末期から昭和時代の女性。清水徳川家第7代当主・徳川篤守の妻。父は小笠原忠幹。
安志藩主・小笠原忠幹の次女として生まれる。清水徳川家第7代当主・徳川篤守の妻となり、1884年(明治17年)に長男の徳川好敏を出産した。篤守との間に5男5女を儲けたが、後に離縁した[1]。
1939年(昭和14年)、死去した[2]。
- ^ 1987年,立風書房『門閥 旧華族階層の復権』
- ^ 1996年,霞会館『平成新修旧華族家系大成 第1巻』