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徳川為子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

徳川 為子(とくがわ ためこ、1897年明治30年)5月10日[1] - 1989年平成元年)5月3日[1])は、紀州徳川家第16代当主・徳川頼貞の妻。父は島津忠義。母は菱刈久。姉は香淳皇后の生母である邦彦王妃俔子

生涯

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薩摩藩主・島津忠義の11女として生まれる[2]。母は側室の菱刈久で、昭和天皇の皇女・島津貴子と結婚した島津久永の祖母にあたる[3]

1916年大正5年)7月25日紀州徳川家第16代当主・徳川頼貞の妻となり、1男1女(徳川頼韶徳川宝子)を出産。長男の頼韶が紀州徳川家の跡を継ぎ17代当主となったが、41歳の若さでこの世を去ると、徳川剛を養子に迎え、娘の宝子と結婚し18代当主とした[4]。その後、剛が経営失敗により失踪したため、孫の徳川宜子が紀州徳川家の19代当主を務めている。

1989年平成元年)、死去。墓所は東京寛永寺

著書

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  • 『三十六歌仙こほろぎ物語』[徳川爲子], [1941] 全国書誌番号:21417482

脚注

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  1. ^ a b 平成新修旧華族家系大成 下巻』(霞会館、1996年)p.169
  2. ^ 紀伊和歌山藩主家 紀伊徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月18日閲覧。
  3. ^ 長保寺で納骨式 紀州徳川家19代当主の母”. わかやま新報. 2023年5月18日閲覧。
  4. ^ 霞会館諸家資料調査委員会編『昭和新修華族家系大成』吉川弘文館、1985年。