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徳川寿千代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
徳川 寿千代
時代 江戸時代末期
生誕 万延元年3月11日1860年4月1日
死没 慶応元年2月4日1865年3月1日
戒名 英樹院
墓所 東叡山寛永寺・凌雲院
幕府 江戸幕府
氏族 徳川氏田安徳川家
父母 父:徳川慶頼、母:高井武子
兄弟 喜久、寿千代、女子、隆麿、家達達孝、鎮、鏡、春、興丸、頼倫
(出典:『徳川諸家系譜』第三[1]
特記
事項
弟・亀之助(後の家達)が跡を継いだ
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徳川 寿千代(とくがわ ひさちよ)は、江戸時代御三卿の一つ田安徳川家の第6代当主。父は第5・8代当主の徳川慶頼

生涯

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万延元年(1860年)3月11日、慶頼の長男として誕生した[2]。母は側室高井武子[2]幼名は寿千代[2]

文久3年(1863年1月18日田安徳川家の当主に就いた[2]

慶応元年(1865年)2月4日、6歳で夭折した[2]。法名は英樹院[2]東叡山寛永寺・凌雲院に葬られた[2]

同月5日、弟・亀之助(後の家達)が襲封した[3]

脚注

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参考文献

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  • 『徳川諸家系譜』 第三、続群書類従完成会、1979年3月25日。NDLJP:12207381 (要登録)