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徳島高速船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳島関空ラインから転送)
徳島高速船株式会社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
770-0856
徳島県徳島市中洲町三丁目5番地1
北緯34度4分3.1秒 東経134度33分37.3秒 / 北緯34.067528度 東経134.560361度 / 34.067528; 134.560361座標: 北緯34度4分3.1秒 東経134度33分37.3秒 / 北緯34.067528度 東経134.560361度 / 34.067528; 134.560361
設立 1973年5月22日
業種 海運業
法人番号 8140001009663 ウィキデータを編集
事業内容 一般旅客定期航路事業
代表者 代表取締役 大久保聡
資本金 9,000万円
発行済株式総数 308,900株
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徳島高速船株式会社(とくしまこうそくせん)は、日本海運会社共正海運のグループ企業で、かつて兵庫県神戸市に本店を置き、徳島県徳島市大阪府大阪市・神戸市を結ぶ高速船を運航していた。

本項では同社の前身である日本ホーバーライン株式会社、及び同社の船舶を使用して徳島 - 和歌山の航路を運航していた、同一グループの徳島シャトルライン株式会社についても解説する。

なお、航路廃止後も法人は存続し、2015年(平成27年)4月には徳島市に本店を移転しているが、2024年(令和6年)現在海運業からは撤退している。

概要

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1973年(昭和48年)に共正海運と神戸船舶の共同出資により、日本ホーバーライン株式会社として設立され[1]、翌1974年(昭和49年)12月21日、徳島 - 大阪(南港)にホーバークラフト(三井造船MV-PP5の11号艇と12号艇「赤とんぼ51号」「赤とんぼ52号」)による航路を開設した。国内のホーバークラフトとしては最長航路であり、徳島阪神フェリーの所要時間3時間20分に対して1時間25分という画期的なスピードを誇ったものの、構造上波に弱く就航率は75%にとどまった[2]。加えて運賃・料金が高額[3]、航走中はシートベルト着用必須で座席から立てないなどの欠点もあって、1975年度の利用率は17.5%に低迷、累積赤字が3億7,000万円に達し、1976年(昭和51年)9月1日に休航となった[2]。これに先立って、1972年(昭和47年)から阪急内海汽船水中翼船による徳島 - 神戸航路(所要時間1時間45分)を運航しており、結果的に見ると、20年余りの実績を残した水中翼船に対して、2年足らずで撤退を余儀なくされたホーバークラフトは完全な失敗であった。2隻のホーバークラフトはその後、大分ホーバーフェリー(現在は廃止)に売却された。

その後、社名を徳島高速船株式会社に変更し、1978年(昭和53年)から使用船を三井造船建造の双胴高速船に替えて[4]、徳島 - 大阪(天保山)の高速船航路として運航を再開した。当時、徳島 - 大阪間の交通機関としては、徳島阪神フェリー徳島フェリー南海四国ライン等があったが、いずれも都心間には4時間前後を要し、 徳島空港 - 大阪国際空港の航空便が速達需要に応えている状況であった[5]。当初1隻による一日3往復、所要時間2時間30分でスタートし、翌1979年(昭和54年)には2隻6往復・所要時間2時間となり、以降高速化、大型化と増便が続けられた。

1985年(昭和60年)には徳島シャトルライン株式会社が設立され、1986年(昭和61年)から既存の南海フェリーとの共同運航により、徳島 - 和歌山航路の運航を開始した。

1990年(平成2年)、阪急汽船(旧・阪急内海汽船)を系列化、以後神戸航路・鳴門航路と合わせた航路運営が行われるようになり、1993年(平成5年)11月に阪急汽船から徳島鳴門特急汽船に社名変更、1994年(平成6年)12月1日には経営合理化のため吸収合併した[6]

1998年(平成10年)4月5日明石海峡大橋の開通および神戸淡路鳴門自動車道の全通により、全航路の運航を終了した。 徳島 - 関空 - 大阪航路は、新たに設立された徳島関空ラインに継承されたが、2000年(平成12年)2月29日に航路廃止となった。 南海フェリーと共同運航を行っていた徳島 - 和歌山航路は、南海フェリーが単独で運航を継続したが、2002年(平成14年)1月31日に運航を終了、その後はフェリーのみの運航となっている。

沿革

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  • 1973年 - 共正海運と神戸船舶の共同出資により、日本ホーバーライン株式会社設立[1]
  • 1974年12月21日 - 徳島 - 大阪航路を開設、ホーバークラフト「赤とんぼ51号」「赤とんぼ52号」就航。
  • 1976年9月1日 - 航路休止。
  • 1978年 - 社名を徳島高速船株式会社に変更。
  • 1978年7月1日[7] - 徳島 - 大阪航路を再開、高速船(以下すべて)「さんびーむ」就航。一日3往復、所要時間2時間30分。
  • 1979年3月30日[8] - 「さんしゃいん」就航、所要時間を2時間に短縮。
  • 1979年7月1日[9] - 「ぶるーすかい」就航、一日6往復に増便。
  • 1985年 - 徳島シャトルライン株式会社設立[1]
  • 1986年2月10日 - 徳島シャトルライン「マリンシャトル」、徳島 - 和歌山航路に就航。南海フェリーと共同運航、一日8往復・所要時間1時間15分[10]
  • 1990年 - 阪急汽船を系列化。
  • 1991年 - 徳島 - 大阪航路に「サンシャイン」「ソレイユ」就航、所要時間は1時間50分[11]、翌年1時間45分に短縮。
  • 1993年7月26日 - 徳島 - 大阪航路、一日9往復に増便。所要時間1時間45分 - 47分[12]
    • 11月 - 阪急汽船、徳島鳴門特急汽船株式会社に社名変更。
  • 1994年6月 - 沖洲マリンターミナルの竣工に伴い、徳島のターミナル移転。
    • 9月4日 - 関西国際空港開港に伴い、寄港を開始。
    • 12月1日 - 徳島鳴門特急汽船を吸収合併、大阪 - 神戸 - 鳴門、神戸 - 徳島の航路を継承。
  • 1995年1月17日 - 阪神淡路大震災により、神戸発着全便が運休。
    • 大阪・西宮 - 神戸の臨時航路に「ぶるーすたー」が就航[13]
    • 4月11日 - 神戸航路再開。発着場所は中突堤から高浜(神戸ハーバーランド)に変更された[14]
    • 7月1日 - 神戸 - 徳島航路を4往復から3往復に減便、1993年4月から運航を中止していた鳴門(亀浦) - 三本松(香川県大内町)を廃止、神戸 - 鳴門(撫養)1往復、大阪 - 鳴門(撫養)4往復の計5往復を、大阪 - 鳴門の3往復に減便した。[15]
    • 徳島 - 大阪航路、一日12往復に増便[16]
  • 1998年4月5日 - 全航路の運航を終了。

航路

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便数はいずれも運航終了時点のものである。斜字は一部便のみ寄港。

日本ホーバーライン
一日4 - 6往復、所要時間1時間25分(東航) - 1時間30分(西航)
徳島港は徳島阪神フェリーターミナル[17]の西側、大阪港は南港フェリーターミナル。
徳島高速船
12往復が運航されており、7.5往復が関西空港に寄港していた。徳島関空ラインへ継承され、8往復に減便して運航が継続された。
全期間に渡り、全船が徳島滞泊のダイヤであり、おおむね徳島発は6時 - 19時、大阪発は8時 - 21時の運航時間帯となっていた。
徳島では当初日本ホーバーライン以来の南沖洲のターミナルを使用、1994年に移動。
3往復が運航されており、1往復が鳴門港に寄港していた。
  • 鳴門港 - 大阪港
3往復が運航されていた。
徳島シャトルライン
南海フェリーと共同運航。9往復が運航されていた。徳島高速船の撤退後は南海フェリー単独で5往復での運航が継続された[18]

船舶

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日本ホーバーライン

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  • 赤とんぼ51号
  • 赤とんぼ52号
(共通)1974年10月竣工、三井造船建造(MV-PP5)、全長16.0m、全幅8.6m、全高4.4m、全備重量14t、ガスタービン1基、機関出力1,050ps、最高速力約100km/h、旅客定員48名、同型船としては初めてトイレが設置された[19]
航路休止後は三井造船を経て大分ホーバーフェリーに売船された[20]

徳島高速船

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社名変更以降は、阪急汽船出自の水中翼船を除き、三井造船製の双胴高速船を一貫して使用していた。

1978年6月20日竣工、三井造船千葉事業所建造、191.4総トン、全長26.471m、型幅8.800m、主機出力2,250ps、航海速力25ノット、旅客定員182名。
  • さんしゃいん[22]
1979年3月20日竣工、三井造船千葉事業所建造(CP-20HF)、275.02総トン、全長32.80m、全幅9.20m、主機出力5,080ps、航海速力30ノット、旅客定員195名。
ぶるーすかい (1986年)
  • ぶるーすかい[23]
1979年6月竣工、三井造船千葉事業所建造(CP-20HF)、275.35総トン、全長32.80m、全幅9.20m、主機出力5,080ps、航海速力30ノット、旅客定員195名。
引退後、久米島フェリーに売船。
  • マリンシャトル
南海フェリーの「マリンホーク」(三井スーパーマランCP30)の改良型(CP30MkII)で、諸元はほぼ同一ながら操舵室・甲板室の形状および配置が異なる。
1986年2月10日竣工、2月19日就航(徳島シャトルラインへ用船)、三井造船千葉事業所建造、共正汽船・徳島高速船所有、船舶整備公団共有船[24]
268総トン、全長41.0m、垂線間長36.9m、幅10.8m、深さ3.4m、満載喫水1.4m、池貝 16V190ATC 2基、連続最大出力5,500ps、最高速力34ノット、航海速力32ノット、旅客定員280名、乗組員4名
ぶるーすたー (1988年)
  • ぶるーすたー[25]
1987年6月竣工、三井造船玉野事業所建造、275総トン、全長41.00m、全幅10.80m、主機出力5,260ps、航海速力31.50ノット、旅客定員280名。
船舶整備公団との共有船。
1987年7月竣工、三井造船玉野事業所建造、275総トン、全長41.00m、全幅10.80m、主機出力5,260ps、航海速力31.50ノット、旅客定員280名。
船舶整備公団との共有船。
  • サンシャイン[25]
1991年6月竣工、三井造船玉野事業所建造、299総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、航海速力36.8ノット、旅客定員300名。
1991年9月竣工、三井造船玉野事業所建造、297総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、航海速力36.50ノット、旅客定員300名。
共正汽船・神戸船舶との共有船。引退後、瀬戸内海汽船に売船。
  • ぽーらすたー[25]
1993年3月竣工、三井造船玉野事業所建造、296総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、最高速力41.43ノット、航海速力36.80ノット、旅客定員300名
船舶整備公団との共有船。引退後、東海汽船に売却され、アルバトロスとなる。
1993年7月竣工、三井造船玉野事業所建造、295総トン、全長43.20m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、旅客定員300名。
船舶整備公団との共有船。引退後、五島産業汽船に売却され、びっぐあーす2号となる。
  • ねぷちゅーん[25]
1995年6月竣工、三井造船玉野事業所建造、290総トン、全長43.21m、全幅10.80m、主機出力7,200ps、旅客定員300名。
南海フェリー・船舶整備公団との共有船。引退後、五島産業汽船に売却され、びっぐあーすとなる。
1983年1月竣工、日立造船神奈川工場建造(PT-50)、128.04総トン、全長27.5m、全幅5.84m、主機出力2,500ps、旅客定員123名。
阪急汽船が建造した水中翼船で、合併に伴い継承。

事故・インシデント

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  • 1992年5月23日 - 「ソレイユ」が大阪港天保山東岸壁で岸壁に接触した。「ソレイユ」は右舷船首部を破損、旅客78名・乗組員4名は負傷者なし[26]
  • 1993年3月7日 - 「サンシャイン」が友ヶ島水道を航行中に大波を受け、2階グリーン室の窓ガラス2枚が破損、旅客120名・乗組員4名のうち乗客1名が軽傷を負った[27]
  • 1993年10月19日 - 「ぶるーすたー」が徳島港内で貨物船「栄吉丸」と衝突した。「ぶるーすたー」は左舷船首部に長さ約2.8mの亀裂を含む凹損を生じ、旅客46名・乗組員4名のうち旅客4名が軽傷を負った[28]

脚注

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  1. ^ a b c HISTORY”. 共正海運. 2023年1月13日閲覧。
  2. ^ a b 『徳島年鑑』1977年版,徳島新聞社,1977.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9770040 (参照 2024-04-22)
  3. ^ 片道4,300円。徳島阪神フェリー2等運賃940円の4倍以上であり、航空運賃4,700円に近かった。『交通公社の時刻表』1975年10月号 (日本交通公社)による。
  4. ^ 『業務要覧』昭和53年版,神戸海運局,[1978]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12064365 (参照 2024-04-22)
  5. ^ 東亜国内航空によって一日11往復運航(所要時間30分)。『交通公社の時刻表』1978年8月号 (日本交通公社)による。
  6. ^ “阪神-徳島間を結ぶ高速船2社合併へ【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): pp. 3総. (1994年11月29日) 
  7. ^ 交通公社の時刻表 1978年8月号 (日本交通公社)
  8. ^ 交通公社の時刻表 1979年4月号 (日本交通公社)
  9. ^ 交通公社の時刻表 1979年7月号 (日本交通公社)
  10. ^ 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 (日刊海事通信社 1986)
  11. ^ JTB時刻表 1992年3月号 (日本交通公社)
  12. ^ JTB時刻表 1993年8月号 (日本交通公社)
  13. ^ 1995年1月配布の「当面の間の時刻表」によると大阪航路では一日4往復を運航、他に共同汽船10往復、大阪水上バス2往復、アーバンクルーザー2往復がそれぞれ運航されていた。
  14. ^ JR時刻表 1995年5月号 (弘済出版社)
  15. ^ “運輸省神戸海運監理部、神戸ー徳島航路減便など申請認可。”. 日本経済新聞 地方経済面 四国 12ページ. (1995年7月1日) 
  16. ^ JTB時刻表 1996年1月号 (日本交通公社)
  17. ^ 現在の南海フェリー発着場所
  18. ^ 高速船時代の南海フェリー”. www.traffic-tokushima.jp. 2023年6月18日閲覧。
  19. ^ 国土交通省海事局 監修『船の科学』27(11)(312),船舶技術協会,1974-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3231749 (参照 2024-04-22)
  20. ^ 日本船舶明細書 1985 (日本海運集会所 1984)
  21. ^ 船の科学 1978年9月号 P.16 (船舶技術協会)
  22. ^ 船の科学 1979年5月号 P.17 (船舶技術協会)
  23. ^ 日本船舶明細書 1988 (日本海運集会所 1988)
  24. ^ 世界の艦船(1986年5月号,p137)
  25. ^ a b c d e f g h 日本船舶明細書 1996 (日本海運集会所 1995)
  26. ^ “大阪港岸壁に徳島の旅客船が接触 けが人なし【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): pp. 1社. (1992年5月24日) 
  27. ^ “高速船の窓割れ、1人けが 和歌山沖【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): pp. 1社. (1993年3月8日) 
  28. ^ “旅客船と貨物船衝突し4人けが--徳島港”. 毎日新聞 (毎日新聞社): pp. 31社会. (1993年10月9日)