徳山村立徳山小学校
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徳山村立徳山小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 徳山村 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1987年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 塚分校、戸入分校、山手分校、櫨原分校、門入分校 |
所在地 | 〒501-0814[注釈 1] |
岐阜県揖斐郡揖斐川町徳山[注釈 2] | |
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徳山村立徳山小学校 (とくやまそんりつ とくやましょうがっこう)は、かつて岐阜県揖斐郡徳山村徳山に存在した公立小学校。
概要
[編集]- 本校は徳山(通称:本郷)に存在し、徳山村の中心地から離れた5つの集落(塚・戸入・山手・櫨原・門入)に分校が設置されていた。
- 徳山村は徳山ダムの建設により、門入地区以外の地域がダム湖に水没することとなったため、集団離村[注釈 3]。それに伴い廃校となった。
- 校舎(鉄筋コンクリート造)は解体されずに、そのまま湖底に沈んでいる。また、かつての校舎の姿は1983年公開の映画ふるさとで確認できる。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 徳山村に伝芳舎が開校する。
- 1881年(明治14年) - 伝芳舎と支校(幽香舎、文炳舎、門入舎)が統合され、徳山学校になる。塚分教場、櫨原分教場、戸入分教場、門入分教場を設置する。
- 1886年(明治19年) - 徳山簡易科小学校に改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 徳山村、山手村、櫨原村、塚村、開田村、戸入村、門入村が合併し、徳山村が発足。
- 1901年(明治34年) - 徳山尋常小学校に改称する。
- 1917年(大正6年) - 山手分教場を設置。
- 1919年(大正8年) - 徳山尋常高等小学校に改称する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 徳山国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 徳山村立徳山小学校に改称する。徳山村立徳山中学校との併設校。
- 1954年(昭和29年)5月13日 - 本郷地区の大半を焼失した火災に巻き込まれて校舎全焼[1]。
- 1960年(昭和35年)4月 - 徳山中学校が独立し、小中併設が解消される。徳山小学校は単独校となる。
- 1965年(昭和40年)9月 - 四〇・九風水害(奥越豪雨)による集中豪雨により校舎が倒壊する。
- 1966年(昭和41年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造2階建)が完成。
- 1983年(昭和58年)
- 1985年(昭和60年)3月 - 戸入分校、山手分校が休校する。
- 1987年(昭和62年)
- 1993年(平成5年)3月 - 本郷分校を廃止。
脚注
[編集]- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、98頁。ISBN 9784816922749。
参考文献
[編集]- 徳山村誌 (徳山村 1973年) P.851 - 908
- 藤橋村閉村記念誌ふじはし (藤橋村 2005年) P.108 - 109