徳山ステーションビル
徳山ステーションビル (徳山駅ビル) | |
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徳山駅ビル(周南市市民交流センター時代) | |
店舗概要 | |
所在地 | 山口県徳山市御幸通二丁目28[1] |
開業日 | 1969年(昭和44年)10月3日 |
閉業日 | 2001年(平成13年)7月10日[注 1][2] |
施設所有者 |
徳山ステーションビル株式会社、日本国有鉄道、他 ↓ 徳山ステーションビル株式会社、西日本旅客鉄道、他 ↓ 徳山市、西日本旅客鉄道、他 |
敷地面積 | 1,730 m²[1] |
延床面積 | 6,587 m²[1] |
商業施設面積 | 1,840 m²[注 2][2] |
店舗数 | 50[1] |
後身 |
徳山市市民交流センター ↓ 周南市市民交流センター ↓ 周南市徳山駅前賑わい交流施設 |
徳山ステーションビル(とくやまステーションビル)は、かつて山口県徳山市(現・周南市)に存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)徳山駅の駅ビルである。愛称はとくやま駅ビルトークス。通称は徳山駅ビルであった。
概要
[編集]徳山空襲を免れた先代駅舎に変わる民衆駅として、1969年(昭和44年)10月に開業。中国地方では広島駅についで2番目と、日本国内でも古くから存在する駅ビルの一つであった。
当時の徳山駅周辺は大型商業施設の開業が続いており(周南市中心市街地の項を参照)、徳山駅周辺の商業発展の象徴の一つであった。
管理・運営は、当時の徳山市と地元有力企業16社によって設立された第三セクターの徳山ステーションビル株式会社が担った[1]。
店舗
[編集]建物は鉄筋コンクリート造りの地上3階(一部4階)、地下1階のビルで、1階部分が駅舎(在来線改札口)となっていた[1]。
開業当初の店舗構成は、地下に食料品店とみやげ店、1階に食堂、2階は衣料品店と日用雑貨店、3階は飲食店街、4階に遊技場というものであった[3]。
ビル屋上には、巨大なアサヒビールのネオン広告が設置されていた。
閉店とその後
[編集]1994年(平成6年)以降、郊外型大型店の進出などを背景にテナントの撤退が相次ぎ、1999年(平成11年)6月には全体の3分の1近くが空きテナントという状況になった[4]。翌年の2000年(平成12年)4月に、運営会社(徳山ステーションビル株式会社)が解散に至った[1]。
2001年(平成13年)2月に、2階以上(3,412m2)を徳山市が取得し、10月より「徳山市市民交流センター」(のちに周南市市民交流センターに改称)として再スタートした[1]。
市民交流センター
[編集]- 市民活動支援センター
- 会議室
- ビジネスサポートコーナー
- 図書コーナー
- 市民多目的広場
その後10年以上にわたり、市民交流センターとしての運営が続いたが、徳山駅の橋上駅舎化に伴い、本施設が解体されることとなった。2014年(平成26年)9月6日に駅改札が橋上駅舎に移転し、2015年(平成27年)3月21日に市民交流センターが閉館[5]。2016年(平成28年)2月までに解体が完了し、46年の歴史に幕を下ろした。
跡地には、市民交流センターの後継施設となる周南市徳山駅前賑わい交流施設(通称・徳山駅前図書館)が整備された。
歴史
[編集]- 1968年(昭和43年)5月 - 徳山ステーションビル株式会社が設立、着工。
- 1969年(昭和44年)10月3日 - 開業。
- 2000年(平成12年)4月 - 徳山ステーションビル株式会社が解散。
- 2001年(平成13年)2月 - 徳山市が2階以上を取得。
- 7月10日 - 大規模小売店舗立地法第6条5項に基づく廃止届出。
- 10月 - 徳山市市民交流センターとして開館。
- 2003年(平成15年)4月21日 - 周南市市民交流センターに改称。
- 2014年(平成26年)9月5日 - 在来線駅舎が橋上駅舎に移転。
- 2015年(平成27年)3月21日 - 周南市市民交流センター閉館。
- 2016年(平成28年)2月 - 解体完了。