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徳地町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳地庄から転送)
とくぢちょう
徳地町
月輪寺
徳地町章 徳地町章
徳地町旗 徳地町章
廃止日 2005年10月1日
廃止理由 新設合併
山口市、徳地町、秋穂町小郡町阿知須町山口市
現在の自治体 山口市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方
都道府県 山口県
佐波郡
市町村コード 35381-7
面積 290.35 km2
総人口 7,946
(2004年10月1日)
隣接自治体 山口市防府市周南市阿武郡阿東町島根県鹿足郡柿木村
町の木 あかまつ
町の花 うめ
徳地町役場
所在地 747-0292
山口県佐波郡徳地町大字堀1744番地
外部リンク 徳地町
座標 北緯34度11分22秒 東経131度39分20秒 / 北緯34.18936度 東経131.65542度 / 34.18936; 131.65542座標: 北緯34度11分22秒 東経131度39分20秒 / 北緯34.18936度 東経131.65542度 / 34.18936; 131.65542
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徳地町(とくぢちょう)は、かつて山口県の中部にあった。一町で佐波郡をなしていた。非常に広い地域で、山口市全域の40%近くを占める[1]

2005年10月1日山口市および吉敷郡3町(小郡町秋穂町阿知須町)と合併(新設合併)し、新たに山口市となり消滅した。

地理

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佐波川上流の中国山地山間部にある。滑(なめら)国有林をはじめとする山林が総面積の約9割を占める。

隣接している自治体

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歴史

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太古には朝廷の直轄地で徳地県(あがた)が置かれ、伝説では出雲国種族が移民し開発した一帯で景行天皇熊襲征伐の際には手助けをしたという[2]。古くから良質の木材の産地として知られ、鎌倉時代には、1180年に焼失した華厳宗大本山である東大寺(奈良県奈良市)の復興に使う木材をここから切り出したと言われているとのこと。※部材をどこの部分に使われたかは不明である。

森林地帯であることから当時この一帯には生業がなく、東大寺の木材調達のために訪れた重源が村人の貧困を憐れみ紙や茶の製造を教えたと伝えられている[3]。以降、紙製造は地域の産業となり、毛利藩政時代には藩の事業として大いに発展、徳地紙は名産品として全国に知れ渡った。紙の買い付けに北前船の商人たちが訪れ、街は賑わったが[4]明治に入り藩の後ろ盾がなくなるとともに衰退していった[5]

昭和初期には出雲村、八坂村、柚野村を下徳地、島地村、和田村、串村を上徳地と呼んでいた[3]。昭和、平成と合併を繰り返し、山口市に編入された。旧徳地町地域は、過疎化が進み、限界集落となっている[1]

沿革

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歴代町長

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産業

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稲作と肉用牛の生産、および林業が盛んである。山林の樹種はスギヒノキマツなどの針葉樹が大半で、コウゾミツマタなど紙の原料となる木もある。ここで作られる和紙徳地和紙文化が今でも残っている。

交通

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鉄道路線

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バス路線

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道路

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高速道路

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一般国道

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主要地方道

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一般県道

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主要施設

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観光スポット

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出身者

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脚注

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  1. ^ a b 畑本裕介「限界集落論の批判的検討 : 地域振興から地域福祉へ : 山口市徳地地域の高齢者生活調査を中心に」『山梨県立大学人間福祉学部紀要』第5号、山梨県立大学、2010年、1-15頁、ISSN 1880-6775NAID 110007648420 
  2. ^ 德地縣と出雲種族『郷土物語』吉村藤舟著 (郷土史研究会, 1935)
  3. ^ a b 人德地杣入と生業獎勵『郷土物語』吉村藤舟著 (郷土史研究会, 1935)
  4. ^ 安渓遊地, 安渓貴子「重源上人から山頭火まで徳地町の語り部・赤木森さんに大いに語る」『山口県立大学国際文化学部紀要』第11巻、山口県立大学、2005年、55-67頁、ISSN 1342-7148NAID 110004597515 
  5. ^ 『関門地方経済調査』市立下関商業学校編 (市立下関商業学校, 1935)

関連項目

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外部リンク

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