復興敦賀音頭
「復興敦賀音頭」 | |
---|---|
森野巧巳 の シングル | |
リリース | |
規格 | CD |
録音 |
2024年2月11日 11:00 - 12:00 於:オーディオ渡辺 |
ジャンル | 新民謡 |
時間 | |
レーベル | TSURUGAレコード |
作詞・作曲 |
|
「復興敦賀音頭」(ふっこうつるがおんど)[1]は、2024年4月6日に発表された森野巧巳[2][3][4][5]のデビューシングル[6][7]。福井県敦賀市の新民謡。
概要
[編集]敦賀大空襲によって甚大なる被害を蒙った敦賀市民の意気を盛り上げ、混迷虚脱の中にある状況を打破するために、詞と曲が公募され、1947年(昭和22年)5月3日に敦賀市公民館(現在の西公民館)によって、「復興敦賀の歌」(作詞:笠松一夫、作曲:庭本俊雄[8])とともに選定されたのがこの曲である。
しかしながら、レコード化はされることがなかったために、時代の流れとともに忘れ去られ、幻の曲となっていた。
そして2009年(平成21年)になり、父親が敦賀市役所で広報課に奉職していた森輝夫税理士事務所所長の森輝夫がこの曲を復活させようとカラオケ仲間と「復興敦賀音頭を育てる会」を設立し、敦賀市在住の作編曲家・山崎正清に編曲を依頼し、歌手をオーディションで募集し、2009年7月20日に寺岡富夫・美濃亜紀のデュエットでCD化された[9]。そのときには、敦賀民舞会の松本麗峰によって振付が施され、「いもづる会」が結成され踊り継いでいた。CDの収益は全額敦賀市に寄附されている[10]。
しかし、発起人の森輝夫が志半ばで死去したため、「復興敦賀音頭を育てる会」は解散してしまった。そのときに、森輝夫の友人が福井県初の高校生によって設立されたNPO法人、「特定非営利活動法人とても敦賀すきすき」の理事長である森野巧巳に協力を依頼し、「市民団体 復興敦賀音頭を育む会」[11]を2023年6月10日に設立した。森野巧巳は顧問に就任している。
そして、「復興敦賀音頭を育む会」並びに踊りを継承している「いもづる会」の両会より森野巧巳に、北陸新幹線敦賀開業記念事業として復興敦賀音頭の吹込み、そして6番の作詞が依頼され、2024年4月6日にCDとして300枚制作し、発表された[12][13][14]。
脚注
[編集]- ^ (日本語) 森野巧巳「復興敦賀音頭」(2024年) Morino Takumi “Tsuruga Reconstruction Ondo” 2024年5月7日閲覧。
- ^ “先人の想いを胸に、民謡の輪を未来へ紡ぐ。NPO法人「とても敦賀すきすき」の森野巧巳さん(敦賀市)【こたかな福井びと】”. ふーぽ (2024年3月20日). 2024年5月9日閲覧。
- ^ 森野巧巳 - 2024年5月2日閲覧。
- ^ “福井県初の高校生NPO、敦賀市の民謡踊りを継承 講習会や祭り参加「残しにくいものを残したい」 | 催し・文化 | 福井のニュース”. 福井新聞ONLINE. 2024年5月9日閲覧。
- ^ “昭和歌謡大好き高校生 廃れる「新民謡」守りたくて打った手”. 毎日新聞. 2024年5月9日閲覧。
- ^ (日本語) 森野巧巳「復興敦賀音頭」(2024年) Morino Takumi “Tsuruga Reconstruction Ondo” 2024年5月2日閲覧。
- ^ “福井県立敦賀高等学校 校長プロムナード 365 本校生が歌手デビュー!”. 2024年5月2日閲覧。
- ^ 初代敦賀市歌や、明倫中学校校歌などを作曲している。
- ^ “【県内ローカル/嶺南】「復興敦賀音頭」60年ぶりCDで再生へ | デジタルアーカイブ福井”. www.library-archives.pref.fukui.lg.jp. 2024年5月2日閲覧。
- ^ “市長の行動記録(平成21年9月) 敦賀市-Tsuruga City-”. www.city.tsuruga.lg.jp. 2024年5月7日閲覧。
- ^ “復興敦賀音頭を育む会 敦賀市-Tsuruga City-”. www.city.tsuruga.lg.jp. 2024年5月2日閲覧。
- ^ “福井・敦賀の高校生が歌手デビュー 地元民謡に「未来志向」の歌詞盛り込み”. 福井経済新聞. 2024年5月2日閲覧。
- ^ “福井・敦賀の高校生が歌手デビュー 地元民謡に「未来志向」の歌詞盛り込み(みんなの経済新聞ネットワーク)”. Yahoo!ニュース. 2024年5月9日閲覧。
- ^ “復興敦賀音頭 リメーク 「育む会」顧問・森野さん(敦賀高3年) 「同世代に伝えたい」 6番歌詞制作、歌吹き込み CD化 | 催し・文化 | 福井のニュース”. 福井新聞D刊. 2024年5月9日閲覧。