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御蔵山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
御蔵山古墳
前方部(雷神社)
所在地 栃木県宇都宮市塙田五丁目535-1ほか[1]
位置 北緯36度34分00.89秒 東経139度53分02.25秒 / 北緯36.5669139度 東経139.8839583度 / 36.5669139; 139.8839583座標: 北緯36度34分00.89秒 東経139度53分02.25秒 / 北緯36.5669139度 東経139.8839583度 / 36.5669139; 139.8839583
形状 前方後円墳[1]
規模 全長 62 m[1]
出土品 土師器須恵器[1]
築造時期 6世紀前半頃[1]
史跡 宇都宮市指定史跡[1]
地図
御蔵山古墳の位置(栃木県内)
御蔵山古墳
御蔵山古墳
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御蔵山古墳(みくらやまこふん)は、栃木県宇都宮市塙田五丁目にある前方後円墳[1]栃木県庁北側に隣接する丘陵の頂上に位置し、墳丘上に雷神社が鎮座する[1]

特徴

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宇都宮二荒山神社宮司であった戸田香園らが発見し、1901年(明治34年)に『古墳発見ニ付上申書』[注 1]にまとめて報告した[3]。前方部が北北西を向く、全長 62 m の前方後円墳で、墳丘は三段築成である[1]。1段目は元の地形を削り出して造成し、2段目と3段目は盛土で作られている[4]。前方部は長さ 27 m × 先端幅 31 m 後円部は直径 35 m である[1]。これらの値は復元値で、1884年(明治17年)の栃木県庁建設工事に伴い、古墳の南側は大きく削られている[5]。周溝は確認されておらず、築造時点からなかったのか、県庁建設で失われたのかは不明である[6]。現存部分の古墳の高さは、前方部で 5.4 m 、後円部で 4.8 m である[4]

埴輪[注 2]土師器高坏)・須恵器・器台)が出土しており、出土品の特徴から、6世紀前半に築造された古墳であることが判明している[1][8]

雷神社

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古墳の前方部に鎮座する[9]雷神社は、寛永年間(1624年 - 1644年)に塙田村の農民が除けのために創建したものである[1][9]祭神大雷神で、大物主神を配神とする[1][9]。宇都宮二荒山神社が管理している[10]

1992年(平成4年)の神社の改築を前にして、古墳のトレンチ調査が行われた[10]。同調査で、墳頂端部から旧社殿のコンクリートの基礎が発見された[6]

古棺記

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古棺記

後円部の東斜面、雷神社参道南脇[2]古棺記(こかんき)と称する石碑がある[11]。この碑は、1888年(明治21年)12月28日の石棺埋葬式の際に建てられたもの[注 3]で、撰文は井上重實、揮毫は戸田香園による[3]。長さ6(≒1.82 m)余 × 横 2尺5寸(≒75.8 cm)の石棺が出土し、管玉50個、臼珠12顆、短剣1口などが出土した旨を刻んでいる[11]

この碑に書かれた石棺は御蔵山古墳の出土品ではなく[注 4]、栃木県庁の建設現場にあった古墳から出土したものであることが戸田香園ほか編『古墳発見ニ付上申書』に記されている[15]。同書によると、県庁の建設によって古墳が失われたため、県庁の北東の隅に石棺を埋め、その上に古棺記の碑を建てたのだという[15]。碑は建立後、2度移動させられている[16]

周辺環境

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塙田トンネル

栃木県庁の敷地の東に隣接する道路(栃木県道64号宇都宮向田線)を北進すると、塙田トンネルの入り口が現れる[1]。その手前に蒲生神社の大きな石鳥居があり、鳥居の左脇の「雷神社」の標柱に沿って急な石段を登っていくと、御蔵山古墳および雷神社に到達する[1]。古墳のある御蔵山には警友会館下野荘や個人宅があったが、トンネルの掘削に伴い移転した[17]

御蔵山古墳のある宇都宮丘陵の縁辺部には古墳が点在し、八幡山公園のある丘陵にも複数の円墳があったとされるが、現存するのは八幡山古墳群1号墳のみである[9]。御蔵山古墳自体も八幡山古墳群の1つである可能性がある[9]

脚注

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注釈
  1. ^ 栃木県立図書館が所蔵する[2]。ただし、同書に添付されていた図は失われている[2]
  2. ^ 円筒埴輪がほとんどで、朝顔形埴輪の破片を少量含む[7]
  3. ^ 1893年(明治26年)3月に建てられたとする文献があるが、これは誤りである[12]
  4. ^ 東京人類学会誌』第28号には、「御蔵山古墳から出土」と掲載された[9]。著者の名義は「神風仙人」で、本名は白井光太郎である[13]。白井は1885年(明治18年)に宇都宮を訪れた際に、宇都宮二荒山神社に寄り、当時の禰宜である戸田香園が描いた石棺・出土遺物の見取り図や、県庁の敷地に放置されていた石棺を調査して、論文として発表した1979年(昭和54年)刊行の『宇都宮市史 原始・古代編』でも白井の論文を基に、御蔵山古墳から出土したと記述し、誤情報が一般に普及した[14]
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 塙 2008, p. 20.
  2. ^ a b c 山ノ井 1995, p. 74.
  3. ^ a b 山ノ井 1995, p. 73.
  4. ^ a b 梁木・今平 1995, p. 70.
  5. ^ 梁木・今平 1995, p. 52, 54.
  6. ^ a b 梁木・今平 1995, p. 54.
  7. ^ 梁木・今平 1995, pp. 59–60.
  8. ^ 梁木・今平 1995, pp. 59–60, 69–70.
  9. ^ a b c d e f 梁木・今平 1995, p. 52.
  10. ^ a b 梁木・今平 1995, p. 49.
  11. ^ a b 塙 2008, pp. 20–21.
  12. ^ 山ノ井 1995, p. 77.
  13. ^ 山ノ井 1995, p. 72, 77.
  14. ^ 山ノ井 1995, p. 72.
  15. ^ a b 塙 2008, p. 21.
  16. ^ 山ノ井 1995, pp. 74–75.
  17. ^ 山ノ井 1995, p. 75.

参考文献

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  • 塙静夫『うつのみや歴史探訪 史跡案内九十九景』随想舎、2008年9月27日、287頁。ISBN 978-4-88748-179-4 
  • 梁木誠・今平利幸『久部愛宕塚古墳・谷口山古墳・御蔵山古墳』宇都宮市教育委員会文化課〈宇都宮市埋蔵文化財調査報告書37〉、1995年3月、78頁。doi:10.24484/sitereports.71409NCID BA42543469https://sitereports.nabunken.go.jp/71409 
    • 山ノ井清人「御蔵山古墳と古棺記―栃木県考古学史の一断面―」『久部愛宕塚古墳・谷口山古墳・御蔵山古墳』宇都宮市教育委員会文化課、1995年3月、72-78頁。 

関連項目

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外部リンク

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  • 御蔵山古墳 - 宇都宮の歴史と文化財(宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会)