御所見村
表示
ごしょみむら 御所見村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年4月5日 |
廃止理由 |
編入合併 御所見村、渋谷村、小出村 → 藤沢市 |
現在の自治体 | 藤沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 高座郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 11.590 km2. |
総人口 |
5,527人 (藤沢市例規集、1955年4月5日) |
隣接自治体 | 藤沢市、高座郡小出村、寒川町、有馬村、綾瀬町 |
御所見村役場 | |
所在地 | 神奈川県高座郡御所見村三谷 |
座標 | 北緯35度24分06秒 東経139度24分56秒 / 北緯35.40156度 東経139.41556度座標: 北緯35度24分06秒 東経139度24分56秒 / 北緯35.40156度 東経139.41556度 |
ウィキプロジェクト |
御所見村(ごしょみむら)は、かつて神奈川県高座郡に所属していた村。現在の藤沢市北西部にあたる。
名称の由来
[編集]かつて桓武平氏の祖である葛原親王(かずらわらしんのう)が葛原(くずはら)の地に御所を築き、散歩に出た折に菖蒲沢(しょうぶざわ)にあった塚から御所を眺めたという伝承から名付けられた「御所見塚」に由来する。
別説として、葛原親王の末裔である垂木主膳正従四位下長田武蔵守平忠望(平公雅と同一人物ともされる)が葛原に、地元の人々から垂木御所と呼ばれる屋敷を構え、この屋敷を菖蒲沢の塚から見ることができたのが「御所見塚」の由来ともされる。
町村制施行時に6村が合併して新たな村が誕生した際、塚の名にちなんで御所見村と名付けられた[1]。
御所見塚があった場所は現在は工場になっており現存しないが、記念碑が藤沢市役所御所見市民センターに設置されている。
歴史
[編集]- 1884年(明治17年) - 下記6村で総合村役場を置く[1]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により用田村(ようだむら)、葛原村、菖蒲沢村、獺郷村(おそごうむら)、打戻村(うちもどりむら)、宮原村(みやばらむら)の6村が合併して御所見村となる。
- 1954年(昭和29年)2月 - 藤沢市および茅ヶ崎市の両市から合併申し入れを受ける。
- 検討した結果、藤沢市への合併を決定した。
- 1955年(昭和30年)4月5日 - 藤沢市に編入合併される。
現況
[編集]公式な地区名としては残っていない(合併以前の6村の名前が地区名となっている)が、旧・御所見村の範囲は地元では御所見地区とも呼ばれており、いくつかの施設にも御所見の名が冠されている。
- 藤沢市役所御所見市民センター
- 藤沢市立御所見小学校
- 藤沢市立御所見中学校
- 御所見郵便局
- 藤沢御所見病院
- 御所見総合クリニック
脚注
[編集]- ^ a b 『日本書房 編『日本地名大辞典』第3巻、日本書房、1938年』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 藤沢市ホームページ:御所見の歴史
- 財団法人藤沢市まちづくり協会ホームページ:御所見のおはなし
- 二万五千分地形圖 (スタンフォード大学ライブラリ)- 明治40年測量・昭和12年第二回修正測図(陸地測量部)