御宿政綱
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄11年(1568年) |
死没 | 元和9年(1623年) |
別名 | 御宿源太 |
主君 | 武田信玄→武田勝頼→板部岡融成→松平忠輝 |
氏族 | 御宿氏(葛山氏) |
父母 | 父:御宿友綱 母:長坂光堅娘 |
兄弟 | 御宿政友 |
子 | 御宿政秀(善太夫) |
御宿 政綱(みしゅく まさつな、永禄11年(1568年) - 元和9年(1623年))は、戦国時代から江戸時代前期の武将。
御宿友綱の次男。御宿政友の弟。通称は源太。子に政秀(善太夫)。
略歴
[編集]武田信玄・勝頼に仕えた後、武田氏の滅亡に伴い、父と共に後北条氏を頼り、板部岡融成の家臣となり22貫(1貫 = 1~2石)の知行を受けている。
天正18年(1590年)の小田原征伐で後北条氏が没落すると、松平忠輝に仕える。元和2年(1616年)に忠輝は改易されるが、その後の政綱の動向は不明で、他家に再仕官したのか、帰農したのかは定かではない。
その他
[編集]「御宿勘兵衛」の通称で有名な御宿政友は兄であるが、御宿政友の実父は武田信玄六男・葛山信貞だという伝説がある。
参考文献
[編集]- 下山治久編『後北条氏家臣団人名辞典』(東京堂出版、2006年)ISBN 4490106963