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徐鐘喆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徐鐘チョルから転送)
徐 鐘喆
서종철
生誕 1924年5月26日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮慶尚南道梁山
死没 (2010-11-20) 2010年11月20日(86歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織  大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍
最終階級 少尉(日本陸軍)
大将(韓国陸軍)
除隊後 大統領特別補佐官
墓所 国立大田顕忠院将軍第2墓域145号
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徐 鐘喆(ソ・ジョンチョル、서종철)は、日本、大韓民国の陸軍軍人

国土部長官の徐昇煥朝鮮語版は四男[1]

人物

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1924年5月、慶尚南道梁山生まれ。本貫達城徐氏。旧制宮崎商業学校(宮崎県立宮崎商業高等学校)卒業。学徒出陣して日本軍少尉。1946年6月、警備士官学校第1期卒業、任少尉(軍番10129番)[2]

1950年6月10日、第8連隊長、大領[3]漢江の戦いに参加。同年、第5師団第36連隊長[4]。1951年、第5師団副師団長。1951年11月28日、憲兵副司令官[5]。1952年、任准将、第2軍団参謀長。1953年、第22師団長。

1954年、陸軍歩兵学校校長[4]。1955年2月22日、第31師団長(初代)[6]。1957年、第25師団長[4]。1959年6月、第1軍参謀長[7]。1960年、第6管区司令官[4]。1961年、陸軍本部情報参謀副長、任少将。1962年、陸軍本部人事参謀副長。1963年、第3軍団長、任中将。1965年、陸軍本部情報参謀副長、合同参謀本部長。1966年、第1軍司令官[4]。1969年、任大将、参謀次長。9月、参謀総長。

1972年、予備役編入、大統領特別補佐官。1973年12月、国防部長官。1983年、韓国反共連盟理事長。1981年12月11日から1988年3月27日まで韓国野球委員会の初代・2代総裁を務めた[8]

勲章

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出典

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  1. ^ 국토부장관 서승환의 부친 서종철과 가계도”. pluskorea (2014年3月12日). 2023年8月23日閲覧。
  2. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、97頁。 
  3. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、197頁。 
  4. ^ a b c d e “서종철 육군참모총장” (朝鮮語). 中央日報. (1969年8月16日). https://news.joins.com/article/1206901 2019年10月28日閲覧。 
  5. ^ “憲兵(헌병) 副司令官(부사령관)에 徐鍾喆(서종철) 大領(대령) 就任(취임)” (朝鮮語). 부산일보. (1953年12月1日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19511201000024 2019年10月28日閲覧。 
  6. ^ “師團長에 尹少將, 徐准將 任命” (朝鮮語). 부산일보. (1955年2月24日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19550224000002 2019年10月28日閲覧。 
  7. ^ “將星級 15名 異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年6月2日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19590602000006 2019年10月28日閲覧。 
  8. ^ 40돌 한국 프로야구, 역대 KBO총재는 누가 맡았나?[스잘알]” (朝鮮語). newsis (2022年3月15日). 2022年5月26日閲覧。
  9. ^ Seo Jung Chui”. Military Times. 2015年11月25日閲覧。

参考文献

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  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。 
  • 徐鐘喆”. 国立大田顕忠院. 2015年11月25日閲覧。
軍職
先代
丁來赫
大韓民国陸軍歩兵学校校長
第12代:1954 - 1954.10
次代
朴林恒
先代
金桂元
大韓民国の旗 大韓民国陸軍第1軍司令官
第10代:1966年 - 1969年
次代
韓信
先代
金桂元
大韓民国の旗 大韓民国陸軍参謀総長
第19代:1969年9月1日 - 1972年6月1日
次代
盧載鉉
公職
先代
劉載興
大韓民国の旗 大韓民国国防部長官
第20代:1973年12月3日 - 1977年12月20日
次代
盧載鉉