徐鐘喆
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(徐鐘チョルから転送)
徐 鐘喆 서종철 | |
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生誕 |
1924年5月26日 日本統治下朝鮮慶尚南道梁山 |
死没 |
2010年11月20日(86歳没) 大韓民国ソウル特別市 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍 |
最終階級 |
少尉(日本陸軍) 大将(韓国陸軍) |
除隊後 | 大統領特別補佐官 |
墓所 | 国立大田顕忠院将軍第2墓域145号 |
徐 鐘喆(ソ・ジョンチョル、서종철)は、日本、大韓民国の陸軍軍人。
人物
[編集]1924年5月、慶尚南道梁山生まれ。本貫は達城徐氏。旧制宮崎商業学校(宮崎県立宮崎商業高等学校)卒業。学徒出陣して日本軍少尉。1946年6月、警備士官学校第1期卒業、任少尉(軍番10129番)[2]。
1950年6月10日、第8連隊長、大領[3]。漢江の戦いに参加。同年、第5師団第36連隊長[4]。1951年、第5師団副師団長。1951年11月28日、憲兵副司令官[5]。1952年、任准将、第2軍団参謀長。1953年、第22師団長。
1954年、陸軍歩兵学校校長[4]。1955年2月22日、第31師団長(初代)[6]。1957年、第25師団長[4]。1959年6月、第1軍参謀長[7]。1960年、第6管区司令官[4]。1961年、陸軍本部情報参謀副長、任少将。1962年、陸軍本部人事参謀副長。1963年、第3軍団長、任中将。1965年、陸軍本部情報参謀副長、合同参謀本部長。1966年、第1軍司令官[4]。1969年、任大将、参謀次長。9月、参謀総長。
1972年、予備役編入、大統領特別補佐官。1973年12月、国防部長官。1983年、韓国反共連盟理事長。1981年12月11日から1988年3月27日まで韓国野球委員会の初代・2代総裁を務めた[8]。
勲章
[編集]- 乙支武功勲章
- 保国勲章統一章
- レジオン・オブ・メリット - 1952年11月28日[9]
出典
[編集]- ^ “국토부장관 서승환의 부친 서종철과 가계도”. pluskorea (2014年3月12日). 2023年8月23日閲覧。
- ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、97頁。
- ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、197頁。
- ^ a b c d e “서종철 육군참모총장” (朝鮮語). 中央日報. (1969年8月16日) 2019年10月28日閲覧。
- ^ “憲兵(헌병) 副司令官(부사령관)에 徐鍾喆(서종철) 大領(대령) 就任(취임)” (朝鮮語). 부산일보. (1953年12月1日) 2019年10月28日閲覧。
- ^ “師團長에 尹少將, 徐准將 任命” (朝鮮語). 부산일보. (1955年2月24日) 2019年10月28日閲覧。
- ^ “將星級 15名 異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年6月2日) 2019年10月28日閲覧。
- ^ “40돌 한국 프로야구, 역대 KBO총재는 누가 맡았나?[스잘알]” (朝鮮語). newsis (2022年3月15日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “Seo Jung Chui”. Military Times. 2015年11月25日閲覧。
参考文献
[編集]軍職 | ||
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先代 丁來赫 |
大韓民国陸軍歩兵学校校長 第12代:1954 - 1954.10 |
次代 朴林恒 |
先代 金桂元 |
大韓民国陸軍第1軍司令官 第10代:1966年 - 1969年 |
次代 韓信 |
先代 金桂元 |
大韓民国陸軍参謀総長 第19代:1969年9月1日 - 1972年6月1日 |
次代 盧載鉉 |
公職 | ||
先代 劉載興 |
大韓民国国防部長官 第20代:1973年12月3日 - 1977年12月20日 |
次代 盧載鉉 |