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徐紹卿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徐紹卿
『大満洲国建国紀念写真帖』(1934年)
プロフィール
出生: 1892年光緒18年)[1]
死去: 1946年8月
中国共産党解放区合江省ジャムス市
出身地: 清の旗 盛京将軍管轄区奉天府
職業: 政治家・外交官
各種表記
繁体字 徐紹卿
簡体字 徐绍卿
拼音 Xú Shàoqīng
ラテン字 Hsü Shao-ch'ing
和名表記: じょ しょうきょう
発音転記: シュー シャオチン
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徐 紹卿[2](じょ しょうきょう)は中華民国満洲国政治家外交官。満洲国では奉天省省長などをつとめた。妻は日本人である[3]

事績

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駐伊公使着任直前 (1938年)

奉天省立中学を卒業。日本に留学して1927年民国16年/昭和2年)3月、東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業し、併せて農学士の称号を取得した[4]。帰国後は東三省兵工廠で技師、廠長となる。

満洲国成立直前の1932年(民国21年)1月に、奉天省政府諮議となる。満洲国建国後の同年4月、奉天省実業庁庁長に就任した。1934年康徳元年)12月1日、錦州省省長に特任される[5]1937年(康徳4年)6月30日、新京特別市市長に異動する[6]。翌年2月10日、駐特命全権公使兼駐西公使に任命された[7]1940年(康徳7年)3月、帰国して郵政総局局長となる。1942年(康徳9年)9月28日、奉天省長に特任された[8][9]。翌年4月20日、徐は奉天省長を依願免官し、5月2日、満洲中央銀行副総裁に任命された(総裁は西山勉[10]

満洲国滅亡後、徐紹卿は長春で満洲中央銀行の残務処理に従事していた。国共内戦勃発後の1946年(民国35年)4月、中国人民解放軍が長春を占領する。その翌月、 満洲興業銀行総裁・岡田信満洲鉱業開発理事長・竹内徳亥らと共に徐は人民解放軍に逮捕された[11]。人民解放軍が長春から撤退した際に、徐・岡田・竹内らはジャムス(佳木斯)へ連行され、同年8月中旬、全員が人民裁判にかけられ銃殺刑に処されたとする資料がある[12]。ただし、人民裁判を経て処刑されたのではなく、裁判手続中に徐・岡田・竹内らを奪回しようとした集団が突入してきたため、その混乱の中で当局により手当たり次第に銃殺された、との説もある[13]。いずれにしても、1946年8月にジャムスで徐は死亡したものと考えられている。享年55。

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  1. ^ 尾崎監修(1940)、20頁。
  2. ^ 東京帝国大学(1939)や『大満洲国建国紀念写真帖』(1934)では「徐紹」と誤記されている。
  3. ^ 尾崎監修(1940)、21頁。
  4. ^ 東京帝国大学(1939)、433-434頁。
  5. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、40頁。
  6. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、73頁。
  7. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、83頁。
  8. ^ 「共栄圏の重責完遂へ 満州国大臣全面更迭」『朝日新聞』昭和17年(1942年)9月29日夕刊、1面
  9. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、155頁。
  10. ^ 満洲国史編纂委員会編(1956)、164頁。
  11. ^ 同時に逮捕された人物としては、他に満洲拓殖公社総裁・斎藤弥平太満洲林業理事長・岸良一らがいた。
  12. ^ 武田(1986)、176-177頁。
  13. ^ 梅(1958)、54-56頁。

参考文献

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  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 山室信一『キメラ-満洲国の肖像 増補版』中央公論新社中公新書)、2004年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
  • 満洲国史編纂委員会編『満洲国年表 本編』満蒙同胞援護会、1956年。 
  • 武田英克『満州中央銀行始末記 新国家建設に賭けた男たちの夢と挫折の記録』PHP研究所、1986年。ISBN 4-569-21809-1 
  • 梅震『戦後の満洲四星霜』1958年。 
  • 尾崎秀実監修「アジア人名辞典」『アジア問題講座 12』創元社、1940年。 
  • 『東京帝国大学卒業生氏名録』東京帝国大学、1939年。 
  満州国
先代
(創設)
錦州省長
1934年11月 - 1937年7月
次代
王茲棟
先代
韓雲階
新京特別市市長
1937年7月 - 1938年1月
次代
于静遠
先代
金栄桂
奉天省長
1942年9月 - 1943年4月
次代
于鏡濤
先代
大沢菊太郎
満州中央銀行副総裁
1943年5月 - 1945年8月
次代
(営業停止)