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徐亨 (アスリート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徐 亨
Henry Hsu
生年月日 1912年12月16日
出生地 中華民国の旗 中華民国 広東省広州府花県
(現:広州市花都区
没年月日 (2009-02-03) 2009年2月3日(96歳没)
死没地 中華民国の旗 中華民国 台北市北投区
出身校 曁南大学
黄埔軍官学校
前職 アスリート
所属政党 中国国民党
称号 海軍少将
大英帝国勲章

中華民国の旗 中華民国
第1期(第1-4次増額)立法委員
在任期間 1973年2月1日 - 1987年1月31日

チャイニーズタイペイの旗 中華オリンピック委員会
主席
在任期間 1973年 - 1974年
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徐 亨(じょ こう、Henry Hsu、1912年民国元年〉12月16日 - 2009年〈民国98年〉2月3日)は、中華民国アスリート政治家海軍軍人実業家国際オリンピック委員会名誉委員。

経歴

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第9回東京)および第10回極東選手権競技大会マニラ)に出場。特に1934年の第10回大会では、サッカーで金メダル、バレーボールで銀メダルという成績を残した[1]

1938年、虎門要塞司令部参謀。少佐として香港の戦いなどに従軍。1942年には戦功から大英帝国勲章を受勲[2]。1978年、少将で退役[1]

1973年から立法委員、1977年から第11・12期国民党中央委員を務める。1987年、総統府国策顧問。1988年から第12・13・14期国民党中央評議員[1]

1970年からは国際オリンピック委員会の委員を務め、1973年から1975年まで国内オリンピック委員会主席。中華人民共和国との主権問題に影響を受ける中で、中華民国が国際大会に出場できるよう「チャイニーズタイペイ(中華台北)」というチーム名を考案した[1]

台北栄民総医院で治療を受けるも、2009年2月3日に死去[1]。96歳没。葬儀には馬英九総統をはじめ、劉兆玄王金平紀政らが出席した[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『現代物故者事典 2009~2011』日外アソシエーツ
  2. ^ Tim Luard (2009年5月20日). “Henry Hsu”. ガーディアン. オリジナルの2022年6月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220625155004/https://www.theguardian.com/world/2009/may/20/obituary-henry-hsu 2022年6月26日閲覧。 
  3. ^ “IOC veteran laid to rest”. タイペイ・タイムズ. (2009年3月17日). オリジナルの2022年6月26日時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/XVLJV 2022年6月26日閲覧。