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後藤正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後藤 正(ごとう ただし、1966年5月15日[1][2] - )は、日本の元タレント歌手。血液型はO型。東京都[1]北区出身[2]

概略

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  • 「フジテレビに行けばスターに会える」と思って受けた欽ドンのオーディションで、約3000名の中から選出され[3]1982年、『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)でフツオ役を演じていた長江健次に代わり、二代目フツオとしてデビュー。同時にイモ欽トリオのメンバーとなる。『欽ドン!』初出演当時は高校1年生。番組に後藤とそっくりの弟が登場する一幕もあった。
  • 一卵性双生児で、弟がいる[3][2]。父親は明治大学硬式野球部でレギュラー選手で[2]、その影響もあって自身も小学生時代は少年野球をしており、小学5・6年生当時は少年野球チーム「神谷ライオンズ」に在籍、主に2番打者で二塁手を務めて、この頃は本気でプロ野球選手を夢見ていたという[2]。しかし父は後藤が小学6年生の時に事故で他界[2]北区立神谷中学校に進学したが、そこには野球部が無かったため野球は断念し[2]、中学生時代の部活はバスケットボール部で活動[1]。高校生時代の部活はサッカー部でゴールキーパーだった[3]
  • 高校入学後に役者になりたいと思うようになり、劇団いろはに応募するも落選となったことがあった[2]
  • 1983年1月1日、イモ欽トリオの3rdシングル『ティーンエイジ・イーグルス』でリードボーカルを担い、歌手デビューを果たす。
  • 同年5月2日放送を最後に番組を降板、同時に芸能界引退。番組内で「フツオから普男(= 普通の男の子)に戻ります」と宣言した。
  • デビューした1982年10月時点のプロフィールでは、英語が得意、フォークソングを聴くことが趣味で南こうせつファン、と紹介されている[1]
  • 芸能活動していた当時の窓口や手紙などの受付先は、萩本欽一が所属する浅井企画が引き受けていた[2]

ディスコグラフィー

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シングル

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「イモ欽トリオ」名義の3rdシングル。後藤は本作で歌手デビュー。
  • エレクトリック・スーパーマン(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣、編曲:白井良明)※上記シングルのB面曲。
備考
2005年2月3日に、オムニバスCDアルバム『イエローマジック歌謡曲』が発売され、『ティーンエイジ・イーグルス』を含むイモ欽トリオのシングルA面3曲も収録されている。

脚注

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  1. ^ a b c d 河北新報 1982年9月27日夕刊 8面「登場」コーナー
  2. ^ a b c d e f g h i 月刊平凡マガジンハウス)1982年12月号「後藤正 汗をかくのが大好きなんだ!!」
  3. ^ a b c 週刊TVガイド 1982年10月8日 102頁「出番です」コーナー